当ブログの文章と筆者の著作物は全て著作権フリーですので、どうぞご自由にお使いください。

幸福論

エッセイ

「天に従う」ということの意味と、世間に広がる「スピリチュアル」に対する批判

私は最近、「天に従う」という表現をよく使います。「もしも天に身を委ねれば、『起こるべきこと』が起こるだろう」とも言います。それゆえ、人によっては、私の言うことをいわゆる「スピリチュアル系の話」として受け取るかもしれません。しかし、これについ...
エッセイ

「現実」と「虚構」のオセロ|「身体に根付く者」と「頭で思索する者」の対比について

自伝を書いていて思ったのですが、私の言っていることは、頭だけで考えている人には「空疎な綺麗ごと」に聞こえるのではないかと思います。私は「幸福」とか「自由」という言葉を頻繁に使いますが、これらの言葉を「頭だけで思索する人々」は「実体のない虚構...
エッセイ

「恋」と「愛」の違いと、それぞれの限界について

「恋」と「愛」との違いについて。「恋」というのは、「セックス」と分かちがたく結びついています。それゆえ、「恋」に落ちると、その人の全身の細胞は「性的な感覚」によって高揚します。そもそも、私たちの生命力の根源は「性的なエネルギー」であるため、...
エッセイ

「内なる父」と「内なる母」が一つになる時、人は本当の意味で「大人」になる

この世には「父性原理」と「母性原理」というものがあります。これら二つの原理は「陰」と「陽」とに分かれており、「父性原理」は「陽」を司つかさどり、「母性原理」は「陰」を司っています。そして、私たち自身の精神も、これら「陰陽」両方の要素によって...
エッセイ

「快」に従う生き方についてのエッセイ|「自分の魂」に従った者は決して悔いることがない

私たちは「自分は今何をするべきなのか?」と、いつも頭で考えています。タイパやコスパを優先する考え方は、その現れでしょう。もちろん、頭を使って考えることが必要な場面もあります。ですが、頭を使って考えてしまうことで、かえって見失うこともあるもの...
ブログ記事

「自由」とは、「深く息ができる」ということ|プロフィールページ刷新のお知らせ

最近、認識に大きな変化があったため、プロフィールを一から書き直しました。筆者プロフィールその認識の変化とは、「悟りを絶対視しなくなったこと」です。以前は、「人が苦しみから救われるには、絶対に悟りという『ゴール』まで辿り着かないといけない」と...
ブログ記事

「自由に踊る」ってなんだ?「しなやかでたくましい無垢」へと至るための探求

◎「やべー人」との出会いこのところ、「自由」をテーマにして記事を書くことが多いのですが、考えてみれば、私はずっと「自由」を求めて生きてきたような気がしないでもないです。私が初めて「自由」というのを意識したのは、19歳の時でした。その時、私は...
ブログ記事

「あなたの光明」を表現してほしい|「真理」という概念を追わず、「自由」という感覚を問う

◎「サット・チット・アーナンダ」は探求を助ける「概念」に過ぎない最近、認識にかなり大きな変化がありました。読者の方と質疑応答をする中で、「悟りとは何なのだろう?」と改めて問い直したことが、きっかけとして大きかった気がします。詳しくは、こちら...
ブログ記事

「個人の幸福」に敵対する社会|「幸福」を選び取る勇気と、やがて巡り合う仲間たち

今回は、「幸福を選択することの難しさ」について書こうと思います。ただしそれは、「現代社会は複雑なので、幸福な社会生活を送るのは難しい」といったような話ではありません。確かに、今の日本は価値観の多様化が進んで、「どう生きるのが幸福なのか」とい...
ブログ記事

「猫」とは「自由な心」のメタファーである|沢庵禅師が語る「内なる猫」との付き合い方

X(旧Twitter)と、このブログにおける私のプロフィールアイコンは「猫」の画像にしているのですが、今回は「なんで猫にしているのか?」という理由を書いてみたいと思います。まあ、半分くらいは「昔から猫が好きだから」なのですが、もう半分の理由...