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幸福論

エッセイ

「偽装された心」に惑わない|「自分の心の声」に従うことは、「束縛なく生きる」ということ

私はよく、「自分の幸福を育てるために、味わって食べることを実践してみましょう」とかいったことをよく書きます。【関連記事】「愛を放射する太陽」としての生き方|「幸福」とは、「ゴール」ではなく「原点」であるこうした記事を読んだ人の中には、実際に...
エッセイ

瞑想とは、自己を「寺院」とした「祈り」である|「存在」によって生かされる時、人は「自身の天命」を知る

最近は言わなくなっていましたが、私は一時期、「瞑想」のことを「祈り」と表現していたことがありました。もともと、この表現は、カビールという北インドの神秘家から借りていたものです。カビールは「織工しょっこう」という職業の人で、いわゆる機織はたお...
ブログ記事

「幸福」と「苦しみ」は二つで一つ|「二元性」を持ち込まず、「全体」を生きる方法について

私はブログの中で、「幸福を味わいましょう」と言いつつ、「苦しみを味わいましょう」とも言います。なので、人によっては混乱するかもしれません。「ポジティブに生きるべきなのか、ネガティブを受け入れるべきなのか、いったいどっちなんだ?」と思う人もい...
エッセイ

「全ての答え」は内側に在る|瞑想とは「するもの」ではなく、「起こるもの」である

とある方とメールでやり取りしていて、「本では何度か書いたけど、ブログでは書いたことがなかったトピック」の存在に気づいたので、記事にして共有しておきます。それは、「結局全ての到達点は同じだ」ということです。たとえば、何らかの瞑想の技法を実践し...
ブログ記事

【新作の内容紹介】「心を生きる幸福論」の原稿が完成しました

この一週間くらいかけて書いていた「心を生きる幸福論」の原稿が完成しました。今回はなかなか「全体のビジョン」が来なかったので、あえて書かないでしばらく寝かせておいて、代わりにここ数日はブログの更新をメインに執筆していました。ですが、昨日になっ...
ブログ記事

見返りを求めずに与えるために|もしも「幸福」が溢れたら、「贈与」は自然と起こり始める

とある読者の方とのやり取りで、「与えること」が話題に出ました。その方は「与えること」が純粋な喜びであると感じるそうなのですが、人に与えていると、時々、心身共に枯れ果ててしまうことがあるそうです。それで、「どうしてなんでしょう?」という話にな...
エッセイ

「愛を放射する太陽」としての生き方|「幸福」とは、「ゴール」ではなく「原点」である

最近、何人かの読者の方から「生活の中にある小さな幸せに気づきました」というお便りをいただきました。こういうのはとても嬉しいですね。別に、私の言った通りのことをしなくてもいいのです。私と同じ意見を持つ必要もありません。いつも言っていますが、私...
ブログ記事

「頭の中」だけで瞑想しないこと|「感覚への耽溺」がもたらす「時間」の溶解

ある方とメールでやり取りしていて思ったのですが、「頭で瞑想する」のと「心身で瞑想する」のとを分けて捉えるのはけっこう大事かもしれません。そもそも、「瞑想」というと、私たちは「頭を使ってするものだ」と思い込みがちです。実際、科学的な研究でも、...
エッセイ

「悟り」に「自分の欲求」を投影する人々|自分の中の「最も根源的な欲求」を理解する

先ほど、また読者の方とメールでやり取りをしていたのですが、あらためて「悟り」というのは、「罪な言葉」だと思いました。そもそも、「悟り」という言葉には、何千年にもわたって非常に多くの手垢がついています。たとえば、「悟り」というと、何か「超常的...
ブログ記事

【新作の第二章の内容公開】「心」と共に生きるための具体的な実践についての解説

現在執筆中の「心と共に生きる幸福論」ですが、第二章まで書き終わりました。二章はかなりボリューミーになったので、現時点で「まえがき」「第一章」「第二章」の全体で約120ページありますが、そのうちの70ページくらいが二章です。なお、二章は「心」...