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同情や共感だけで、本当に苦しんでいる人は救えない

昨日から、自分の軸足を「胸」ではなく「肚」に移す実験をしているのですが、やはり「静けさ」がだいぶ深まったように感じます。

同時に、自分の活動に関するモチベーションが低下しています。

今までは、「胸」に軸足を置いていたので、「愛情深く他者とかかわりたい」という気持ちが強く、「もっと多くの人とつながりたい」という想いから発信をおこなっていたのかもしれません。

今は、そういった想いが沈静化していて、以前ほど、表現するモチベーションが湧かなくなりました。

つまり、「人々とつながり続けること」を求めなくなったわけですね。

それに伴って、「活動を今後もずっと続けていく」ということについても、何も保証できなくなりました。

今は、「これからも人々に何かを提供し続けたい」という奉仕の精神が薄らいでいて、ただ一人で内側の静寂を深めることに落ち着きと喜びを感じています。

先日、「活動継続のための支援のお願い」という趣旨の動画をアップしていたのですが、そういった私自身の内面的な変化もあったため、当該動画は非公開にしました。

そもそも、以前の私は「人々とのつながり」を重視していたため、「共同体を長く存続させること」を優先していました。

だからこそ、そのための支援を呼びかけたわけです。

しかし、今は「人々とのつながり」よりも前に、「自分自身を深めること」を優先したい気分になっています。

「どんどん新しい人と出会って、何でもかんでも受け入れる」という水平方向に拡大するような活動はせず、もっと少人数で垂直方向に深く掘っていくような活動をしたくなっているわけですね。

要は、ブログを始めたばかりの頃のような状態に戻ったのです。

そうなると、「多くの人から支援を募って活動を継続していく」という方向には向かわなくなりますし、たとえ支援してもらっても、そういった人々の期待に応えることはたぶんできないと思います。

実際、今の私は「より多くの人に奉仕したい」という気持ちがなくなってきており、「少数の人に対して深掘りしたい」という気持ちが強くなっています。

「多様なニーズに応えて、支援してくれた人々皆の期待に応じる」というのは、今の私には不可能です。

にもかかわらず、支援を求める動画をアップしたままにしておくのは、かえって誤解を招く可能性もあると思いましたので、非公開にした次第です。

youtubeのチャンネル登録者数も、これ以上増やそうとは思いません。

もともと私はyoutuberになりたかったわけではなく、新たな表現方法を模索する中で、「カメラの前で喋る」ということがしっくり来たので、動画を撮ったりライブをしたりするようになっただけです。

結果的に、今までと違う「探求とは無縁な一般リスナー」との出会いもあるにはありましたが、そういった人のほとんどは、私が作っていたyoutubeのショート動画を回すだけで、結局、あまり深くまでは踏み込んでこなかったです。

現状、「短時間でエッセンスだけをたくさん摂取したい」という人たちが、私の作ったショート動画を消費しており、そういった流れから、チャンネル登録者の数字だけが肥大化していました。

これは、「中身の伴わない数字」だったと思います。

なので、今日からショート動画を作るのはすっぱりやめてしまいました。

たぶん、私が作るショート動画を目当てにしていた人は一斉に離れていくと思いますが、私は性急な人々の暇つぶしの娯楽として消費されるために情報を発信していたわけではないので、そういった人々が離れていっても別に構いません。

その上で、もう一度、真剣に自分の探求をしてみようと思っています。

とにかく、水平方向に拡大していくのはもうやめます。

なぜなら、それによって「何か大事なもの」が薄まってしまうような気がしたからです。

世の中の人からほとんど知られなくても構いません。

活動が縮小することになっても問題はありません。

どのみち、届くべき人のところには、言葉は届くと思っています。

そして、それで十分だったのです。

「中身の伴わない数字」だけを増やしても意味がないので、今後は原点回帰して、目の前の一人と向き合うことから始めます。

そして、そのためにも、私は水平方向ではなく、垂直方向に進みます。

なぜなら、私が「相手と同じ高さ」にいては、相手は本当の意味で安心できないからです。

「同じ高さにいる人」は、「気の良い友人」にはなるかもしれませんが、そういう水平方向のつながりだと、私はきっと相手と一緒になって苦しんでしまい、落ち着いて支えてあげることができなくなります。

もちろん、「一緒に苦しむ」ということが、愛情の一つの形ではあると思います。

でも、本当に苦しんでいる人にとって必要なのは、同情や共感を超えた安定感です。

私自身が決して揺らがないこと、それこそが、動揺の中にいる人を落ち着かせるための「アンカー」になると思っています。

相手と一緒になって喜んだり悲しんだりすることも大事ですが、その中で自分自身がブレないこと。

感じているけど動かされない。

そういう状態が、以前の私には欠けていました。

これからは、「胸」ではなくて「肚」に軸足を移して、「感情」ではなく「実在」のレベルで人とつながることをしていきます。

そのためにも、日々の実践が大事です。

これまで以上に、自分の行住坐臥を純化して、覚醒を保ち、「実在」に根差した状態を心身に練り込んでいきます。

実践の方向性自体は自分の中ではっきりしているので、あとは淡々と続けていくだけです。

とりあえず、あと半年は貯金が持つので、その間に少しでも実践を進めていきたいところです。

ということで、今後、私の読者に対する対応は、以前に比べて「非同情的・非共感的」になっていく可能性があります。

人によっては、「湯浅さん、最近なんか冷たくなったな」と感じるかもしれませんが、まぁ、以上のような「移行期」にあるので、「そういうもんだ」と思っておいてください。

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