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「愛を放射する太陽」としての生き方|「幸福」とは、「ゴール」ではなく「原点」である

最近、何人かの読者の方から「生活の中にある小さな幸せに気づきました」というお便りをいただきました。

こういうのはとても嬉しいですね。

別に、私の言った通りのことをしなくてもいいのです。

私と同じ意見を持つ必要もありません。

いつも言っていますが、私はただ、読者に「自由」であってほしいだけです。

そして、「自由」とは「幸福」の別名です。

そういう意味では、私は読者が「幸せ」ならそれでいいのです。

なので、私が嬉しいのは、読者が「私の言うことに従ったから」ではなくて、「読者自身が自分の内側に幸せを見つけられたから」です。

相手が「幸せ」を感じられて喜んでいるから、私のほうもまた嬉しいのです。

それはともあれ、「日常の中のささやかな幸せ」というのは、見つけようと思えばけっこう見つけられるものです。

作家の村上春樹は、これを「小さいけれど確実な幸せ(略して小確幸しょうかくこう)」と呼んでいました。

人はどうしても「大きな幸福」を求めて「どでかいゴール」を設定しがちですけれど、そういう試みはだいたい失敗してしまいます。

そういう場合、往々にして当人は、走れば走るほど「ゴール」が遠ざかるように感じられ、「幸福」については、いつまでも「おあずけ状態」を余儀なくされます。

つまり、そういう人にとって「幸福」というのは、「いつか未来に受け取るもの」になってしまい、その過程においてはひたすら苦しいばっかりになってしまうのです。

でも、私は順序が逆だろうと思っています。

「本当の幸福」は、「後」ではなくて「先」に手に入るものです。

私たちは「頑張った後に幸福を手にする」のではなくて、「まず幸福になって、それから自然と頑張るようになる」のです。

このことについては、過去にも記事を書いて論じたことがあるので、興味のある人は下記の記事も合わせて読んでみてください。

【関連記事】
【再考】「存在する喜び」について|「相対的な幸福論」と「絶対的な幸福論」に関する論考

もしも「幸福」を「未来の報酬」だと考えると、その人は「ゴール」に到達するためのエネルギーを、どこかよそから引っ張ってこなければなりません。

人によっては、「いつか社会的に成功して称賛されている自分のビジョン」を想像して、モチベーションを維持しようとするかもしれません。

でも、いくらそうやって自分を奮い立たせても、いっこうに社会的に成功できなかったらどうなるでしょうか?

その人はきっとエネルギーが湧いてこなくなってしまうはずです。

時には、「こんなことをいつまでも続けていても無意味なんじゃないか?」という疑いが湧いてきてしまい、目の前の物事に集中できなくなるかもしれません。

また、仮に「社会的な成功」を勝ち取れても、「同じ問題」が残り続けます。

なぜなら、その人の「幸せ」は、あいかわらず「社会的な成功」に依存したままだからです。

そのため、当人は「幸せ」であり続けるために、どこまでも「成功」を追い求めなければならなくなります。

そして、「次の幸福」を得るためには、「次の成功」まで到達しなければならず、それまで「幸せ」はやっぱり「おあずけ」になってしまうのです。

こんなことを続けていれば、誰でもどこかで疲れ果てて倒れるでしょう。

そして、これこそが私たちの「バーンアウト」の正体なのです。


以前も少し書きましたが、「達成感」と「幸福感」は本来「別のもの」です。

【関連記事】
ただ「幸福」になってください|真理の探求の後半戦は「幸福感」によって意志を溶かす旅である

そもそも「達成感」というのは、「何かを達成した直後」にしか感じることができず、しかもそれはまるで持続しません。

逆に、「幸福感」というのは、「私たちが生きて在ること」そのものに根付いており、特別なことを達成しなくても感じることのできるものです。

そして、「達成感」は私たちの「頭」を喜ばせはしますが、「心」を満たすことはありません。

逆に、「心」は「幸福感」によって満たされますが、「頭」はこれを理解することができないのです。

もちろん、「頭」が働くことで複雑な現代日本で社会生活を送ることもできるわけですが、「頭」に完全に軸足を置いてしまうと、私たちは常に「何かを達成しないといけない」という焦燥感によって支配されてしまいます。

こういった焦燥感から解放されるためには、「心」を通して「幸福感」を味わうことが大事になります。

別に大したことはしなくてもいいのです。

好きなご飯を味わって食べたり、好きな音楽に耳を澄ませたり、くだらないコントや漫画を読んでゲラゲラ笑うのでもいいんです。

「あぁ、幸せだなぁ」
「なんて楽しいんだろう」

そんな風に自然と思える時間を大事にしていけば、「幸福感」は徐々に育っていきます。

そして、これも大事なポイントですが、この時、当人は他人を「自分の幸せのための踏み台」として利用しなくなります。

つまりその人は、他人を蹴落としたり、見下したりすることで自分を満たそうとはしなくなり、自分自身だけで「自分を満たすこと」を完結させられるようになるのです。

逆に、他人を踏み台にしないと「達成感」を得られない人も世の中には多いものです。

そういう人たちは、「自分の心地よさ」のために、絶えず他人を巻き込もうとします。

それは、その人自身の心が「空虚さ」によって渇いているからです。

それゆえ、彼らは「他人からの称賛」や「社会的な成功」といったもので、何とかしてその「空虚さ」を埋めようと必死になってしまうのです。

それに対して、自分自身で自分を満たすことができる人は、他人をわざわざ巻き込もうとはしません。

当人は、「食べたいもの」を食べ、「したいこと」をして、「行きたい場所」に行くことで、自分のことを満たします。

そして、逆説的なのですが、そういった「自己完結的に満ち足りた人」というのは、結果的に周りの人たちを巻き込み始めるのです。

そもそも、こういった人というのは、あまりにも満ち足りているので、いつも活き活きしています。

そして、その人は自分に「不足」を感じていないので、惜しげもなく他人に与えることができ、それでいて見返りを求めません。

こういったことの結果として、そんな風に「与えるばかりで奪うことなく、いつも活き活き生きている姿」は、周りの人を自然と感化していきます。

つまり、「自分もあんな風に生きたい」という願いを、周りの人たちの「心」に生み出し始めるのです。

そうやって、「心」で生きる人の一挙手一投足は、周りの人たちの「心」にも火を灯し始めます。

中心にいる当人は、他人を巻き込もうという意図を持っていないのに、その人の「心」が発する「磁力」が周囲の人たちの「心」を自動的に惹きつけ始めるのです。


そして、その人は、既に「幸福」であるからこそ「創造的」になります。

彼/彼女は、「創造的であることによって幸福になろう」とは思っておらず、「既に幸福であるがゆえについ創造的になってしまう」のです。

私が「幸福が先で頑張るのは結果」だと言うのはこのためです。

当人は、自分の内側に溢れるものを、他人と分かち合わずにはいられません。

その人は既にあまりに「豊か」なので、いくらでも与えるものがあります。

そして、そうやって「自分の豊かさ」を与える仕方に、その人はいつも「自分自身の血」を通わせます。

他の誰でもない、「その人自身の仕方」でもって、彼/彼女は人々と「豊かさ」を分け合うのです。

だから、その人の活動は結果的に「独創的なもの」になっていきます。

「他人からの借り物の意見や知識」に寄りかかることなく、当人はあくまでも「自分の心」を表現します。

そして、このことによって、その人は他の誰とも違う、「その人だけの表現」を体現するようになっていくのです。

この時、実際のところ、当人には「頑張っている」という意識すらありません。

当人はただ、「自分自身」を生きているだけです。

そして、それが結果的には、「当人の幸福感」をさらに深めると同時に周囲の人たちを変えていき、やがては社会や世界全体に「幸福感のさざ波」を、波及させていくことになるのです。

なので、「幸福」というのは「ゴール」ではなくて「原点」です。

人は「幸福」だからこそ「創造的」になり、「幸福」だからこそ「独創的」で在れます。

それゆえ、「幸福」になりさえすれば、「あとのもの」は結果的にみんなついてくることになるのです。


「でも、いったいどうやって幸福になったらいいんだろう?」ときっとあなたは言うでしょう。

ですが、「幸福」というのは、既に日々の生活の中にあるものです。

少なくとも、今の日本には「今日食べるものさえ一切ない」という人や、「住むところも着るものも持っていない」という人はほとんどいないでしょう。

少なくともあなたは、こうしてネットに繋げる環境に身を置いて、私の文章を落ち着いてここまで読めるだけの時間的余裕も持っています。

それなら、きっと目を凝らしさえすれば、日常の中に「幸福」を見つけることは可能なはずです。

あなたはどんな瞬間に「心地よさ」を感じますか?
あなたは何を食べている時に、心から「美味しい」と感じるでしょう?

何から始めたらいいかがわからない人は、まず「好きなものを味わって食べる」ということから始めてみてください。

その辺のお店で「出来合いの物」を買って食事を済ませず、本当に「食べたい」と感じるものを食べてみてください。

できれば、手間とお金を少しだけかけたほうがいいです。

調理経験がある人は、自分で作って食べると、もっと深く味わえるでしょう。

「うまく作ろう」とは考えずに、ぜひ作ることそのものも楽しんでみてください。

そうして、全ての用意ができたら、「さぁ、これからこれを食べるぞ!」という「心の構え」を取った上で、「美味しい」という感覚を、思う存分楽しむのです。

「そんな程度のことでは何も変わらないよ」と思うかもしれません。

ですが、むしろ逆に考えてみてください。

こと「幸福」においては、「大きなこと」ではなく、「小さなこと」こそが大事なのだ、と。

実際、私たちの人生というのは「小さなこと」の積み重ねによってできています。

だから、もしも「小さなこと」を変えられたなら、やがては「人生全体」を変えることさえ可能です。

どうか「小さなこと」から始めてください。

「頭」はきっと「大きなこと」を目指したがるでしょうけれど、そこから生まれるのは「達成感」だけです。

すると、あなたは「達成感」を得るまでの間、一切何も手に入らず、ずっと「おあずけ」の状態に縛り付けられてしまうでしょう。

そこにも本当は「小さな幸福」が存在しているのに、「自分はまだ何も達成できていない」という意識があまりに強すぎて、それらの「幸福感」に対して、あなたは盲目になってしまうのです。

「小さな幸せ」を探してください。

それが「人生を変える秘訣」です。

あなたは知ったら驚くでしょうが、もしもあなたが「幸福」になれば、あなたの世界は変わり始めます。

そうして、あなたはやがて、他人を救うつもりもないまま、人々のことを助け始めるでしょう。

なぜなら、あなた自身があまりにも満たされているものだから、その内側に存在する「愛」が、外側にも自然と溢れ出るようになるためです。

そのようにして、あなたは「愛を放射する太陽」のように生きるのです。

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