筆者プロフィール|湯浅 和海

はじめまして。
湯浅和海(ゆあさ かずみ)と言います。

ところで、「自由」って何だと思いますか?

「好きなことをできることが自由だ」と言う人もいるでしょうし、「伸び伸び過ごせることが自由だ」と言う人もいると思います。

実は、私は「自由って何なのだろう?」ということをずっと問い続けてきたんです。

「自由に生きるってなんだろう?」
「自由であるってどういうこと?」

私はそんなことをずっと考えていました。

そして、いまだに「自由」こそが、私にとって最大のテーマなんです。


私が「自由」について考えるようになった最初のきっかけは、即興舞踊をするようになったことでした。

私は最初、高校時代に先輩が踊っていたブレイクダンスに心を奪われて、踊り始めました。
それで初めはブレイクダンスをやっていたんですけれど、他のダンスもやってみたくなり、ロックダンスやヒップホップなんかも踊るようになりました。

それで、「もっとダンスを学びたい」と思うようになった私は、高校を卒業した後にダンスの専門学校に進学したんです。

そこではクラシックバレエが必修で、「げげ、ブレイクダンサーの俺がタイツを穿いてアン・ドゥ・トロワ?あり得ないって!」と思ったんですが、実際にやってみるとこれが面白く、私はすっかりバレエにハマってしまいました。

それで、学生だった当時は毎日朝から夜までバレエの稽古をする生活を送っていました。
さらにはそこから、バレエの技術を応用して、ジャズダンスやモダンダンスもやるようになりました。

まあ要は、節操なくあらゆるジャンルのダンスに手を出していたわけです。

しかし、ある時に即興舞踊の世界に触れて、私は「ダンスって何なのだろう?」という問いに取り憑かれるようになりました。

そもそも、即興舞踊には「正解」というものがありません。
「踊りの時間」には何をしてもいいし、それこそ何もしないで立ち尽くしていてもいいのです。

まさに「自由」です。

だから、それまで習ってきたブレイクダンスやらクラシックバレエの技術を使って踊ってもいいわけですが、「自由に踊っていい場所」で、わざわざ「覚えたテクニック」を反復するのも、私は何かが違う気がしました。

「じゃあ、どうしたらいいのだろう?」

私はそこで絶句してしまったんですね。
私は確かにたくさんのダンスを習ってきたのですが、それらはあくまで「既に完成している技術体系」であって、別に「私の踊り」ではなかったんです。

もちろん、「覚えた技術」を披露するのも、「その人の自由」と言えばそうでしょう。

でも、私は「それってなんか違う気がする」と感じていました。
だとしたら、その自分の違和感を大事にするのも、「私の自由」だったのではないでしょうか?

私の即興舞踊の師であった先生は、
「内側から動きが起こってこない時は、無理して動かなくていいんだ」と言っていました。

つまりそこには、「あえて動かない自由」もあったわけです。

「自由」ってすごいですよね。
「動かないダンス」さえも、その中に含んでしまうんですから。

ただ、私はどうしても「自分の踊り」を見つけることができなくて、「動くのも動かないのも収まりが悪いし、なんとなく気持ちが落ち着かない!」と感じるようになってしまいました。

それで、ダンスの中に「答え」を見つけるのはいったんやめて、踊りからは離れて暮らすようになったんです。


その後、ちょっとした縁から私は合気道を習うようになりました。

ダンスで鍛えた身体能力があったため、私はとんとんとスムーズに昇級していきました。
そして、いよいよ初段を取って黒帯を締めるようになると、私のことを気にかけてくださっていた道場の師範は、私のことを書生として雇ってくれたのです。

それから数年は、「お給金をいただきながら合気道の稽古をする」という夢のような生活を送りました。

また、この頃からダンスと合気道を教える教室を開くようになり、ホームページで自分の考えを文章にして発信するようになっていきました。

私は中学生の時に東京都近県作文コンクールで一等一席を取ったことがあり、昔から文章を書くことは得意でしたし、自分の考えを書いていると夢中になって楽しめました。

だから、ホームページで文章を書くことも、当時の私にとって「生き甲斐」みたいなものだったのです。

当時は本当に楽しくて、毎日充実していました。

自分の能力を活かして、合気道の道場では師範が技の見本をする時に受けの役をして、自分の教室のホームページではバリバリと文章を書いていました。
当時の私は日々を活き活きと過ごしながら、「自分の成長」を感じていたものです。

しかし私は、最終的に師範と意見が対立して、道場を破門になってしまいました。

なぜたくさんお世話になった師範に逆らうようなことをしたかと言うと、当時の私の目には、師範の言っていることとやっていることは矛盾していて、筋が通っていないように見えていたからです。

だから、「それはやっぱりおかしいと思います」と勇気を出して言ったわけです。
しかし、師範からは言い分を聞いてはもらえず、私は道場を永久追放になってしまいました。

まあ、私も言い方が悪かったんですけどね。
実際、師範のやっていることを頭から全否定するような言い方をしてしまっていましたから。

でも、私は「感じたことを正直に言う」ということをあえてしました。
それが、その時の私にとっての「自由な在り方」だったのです。


道場を破門になった後も、私は教室活動を続けました。

しかし、100人以上いた師範の門下生たちとのつながりが途絶えてしまっていたので、もうほとんど誰も私の教室にはやってきませんでした。

それで、私は「だったら思いきり自分のやりたいことをやろう」と思って、呼吸法と瞑想法をおこなう会を主催し始めました。

実は、私が破門になった道場では呼吸法や瞑想法が指導されていて、私は次第に合気道そのものよりも、呼吸法や瞑想法のほうに興味が引かれるようになっていったのです。

それで、道場では教えられていない様々な技法を自分で学んで実践していました。

本当はそういうことはしないほうがいいですけどね。
というのも、武道の道場というのは派閥とか上下関係とかにけっこう敏感なところがあって、他流の技法を学ぶことはあまり奨励されないのです。

だからたとえば、もしも他の道場に出稽古に行く場合には、必ず前もって師範に申し出て許可をもらわなければいけません。

でも、私は師範に内緒で色々なボディワークの指導者や武術の指導者の講座に紛れ込み、呼吸法や瞑想法のエッセンスを学び取ろうとしていました。

要は、「そんなの俺の自由だ」と思っていたわけです。

まあ、そういう意味でも、私はやっぱり破門になるべくしてなったのでしょう。
私は「これをしたい」と思ったら、誰が止めても聞かない人間で、「やりたいこと」が見つかったら、鉄砲玉みたいに飛んでいってしまうところがあったのです。

とにかく、破門になるよりずっと前から、私は何年もかけて独自に呼吸法や瞑想法を研究していました。

そして、その過程で、「自由に踊る」ということが、今さらながらできるようになっていったのです。

まず、呼吸法を実践することで、私は「自分の息」を深く味わうことができるようになっていきました。

呼吸法をしていると、「息の波」が身体を伝わっていくのが感じられ、その心地よいリズムによって心身がリラックスしていきました。

その感覚はまるで、「息」が私の中で踊っているかのようでした。

また、瞑想法を実践することで、私は内側が静かになるのを感じました。
思考や感情が沈静化し、頭の中がクリアになって、視界が澄んでくるのです。

そんな「澄んだ心」で「自分の息」を味わっていると、身体が自然と動き出すようになりました。

心が言うんです。

「次はこっちに行きたい」
「今度はこんな動きをして遊びたい」

そして、そんな心の声を聞きながら、身体は一つの軌跡を描き出します。
それは「とても自然な成り行き」として起こり、私はただその「心と身体による遊び」を観ている観客になったような気分でした。

動きは次々に湧いてきて、それらは自然とつながっていきました。

そこには「こうしなきゃいけない」という想いもなく、「こうであっちゃダメだ」という考えもありませんでした。
ただ、心と身体の望むままに、「全て」は動き続けていたのです。

「自由に踊るって、こういうことだったのかもしれない」

私は今さらながら、そんな風に思いました。

しかし、同時に「それって矛盾してないか?」とも思いました。

だって、「自由」なら何をしてもいいはずです。
なのに、そこには「こうとしか在れない」という必然性の感覚があったんです。

心と身体が望むままに動き続けると、そこには「一つの軌跡」が浮かび上がります。
それは「他の軌跡」であってもよかったはずなのに、なぜかそうはなりませんでした。

心は「こっちがいい」「今度はこっち」と身体を導いていき、結果的に「こうとしか在れない」ような「必然的な軌跡」が描き出されることになるのです。

でも、私たちの人生って、そもそもそういうものではないでしょうか?

たとえば、私たちが生きていると、「どうしてもこっちに進みたい」と強く感じることがあります。

頭で考えたら「そんなの割に合わないんじゃないか?」とも思えるのですが、私たちの心は「こっちに行きたい」と言うのです。

そして、その心の声に従っていくと、不思議と「その人らしい生き方」が自然と現れてきたりします。

それは、誰の真似でもない「その人自身の表現」となり、「オリジナルな人生の軌跡」を描き出すのです。


私は「自由とは、『こうとしか在れない』という心と身体の必然性のことだったんだ」と気づきました。

でも、この気づきを得たことで、私はどこか有頂天になってしまいました。
私は自分のことを、何か特別なことを悟った「選ばれた人間」であるかのように考え始めたのです。

それから私は前以上に精力的に文章を書いて自分の発見した「自由」について発信し始めました。

私はそれを誰かに伝えたくて仕方なかったのですが、道場を破門されて孤立していた私の言葉に耳を傾ける人はほとんどいませんでした。

そして、私はだんだんイライラし始めました。
つまり、「世の中の人々はわかっていない!みんなこの私の声を聞くべきだ!」と考え始めたんですね。

この時、私は自分の呼吸が浅くなっていることに気づきませんでした。
私は性急さに駆られ始め、憤りを叩きつけるように文章を書くようになっていきました。

その当時、私には妻がいました。
まだ結婚したばかりでしたが、やがて子どもが生まれました。

でも、私は「自分の発見した事実を世の中に伝えたい」という想いに囚われていました。
それゆえ、産後で大変だった妻のことも顧みず、私は自分の執筆活動に没頭していったのです。

そして、「どうして伝わらないんだ!」という苛立ちを、私は妻へぶつけるようになっていきました。

しかし私はその時、自分が既に「内側の自由」を失っていることに気づいていませんでした。

もはや内側に「静けさ」はなく、私の身体は力んで硬直し、呼吸は浅くなっていたのです。

私は「この考えを絶対に伝えないといけない!」という風に思い詰めていて、その「こうでないといけない」という考えによって心が束縛されていました。

それゆえに、家族さえも顧みずに「絶対に伝えてみせる!」と思っては書くことにひたすらしがみつき、妻を傷つけ続けたのです。

ある日、とうとう妻は子どもを連れて家を出ていきました。
そして、そのまま二度と帰ってこなかったのです。

それが、彼女にとっての「自由」の表現でした。

ですが、私は「どうか行かないでくれ!」とすがりつきました。
私は今度は「この人は離れていくべきではない」という執着によって心を束縛され始め、ますます「内側の自由」を失っていったのです。

その後、彼女が離れていくことがあまりに辛かった私は、気持ちの整理をつけるために自分の方から離婚を切り出し、すぐ正式に離婚が成立しました。

妻は私から連絡されるのも心底嫌そうだったので、私は最終的にメールやメッセージを送ることをやめました。
彼らが今どこでどうしているかは、私にもわかりません。

悪いことをしたとは思いますが、たぶん今さら私から謝罪されても、かえって彼女はそれを嫌がるでしょう。

ともかく、そこからは急転直下です。

私は家族との離別のショックで精神的に失調してしまい、教室とは別に、生活のためにしていた仕事が全く手につかなくなりました。
仕事中に突然身体が動かなくなってしまったり、思わず叫び出してしまったこともありました。

結局、「これ以上働くのは無理だ」と思った私は仕事を辞め、家に引きこもるようになっていったのです。

私はもう、かつて感じた「自由」がどんなものだったか思い出せませんでした。

私の心は深い苦しみの中に在り、それはあらゆるものによって縛られてしまっていたのです。


そんな風にして「不自由な心」を抱えながら、私はどうかこうか生きていました。
金銭面については、生活保護を受給することで何とか食いつなぎ、精神科に通院しつつ就労支援を受けることで、徐々に生活を立て直していきました。

そんな中、私は山家直生なおさんという人が運営する空白JPというブログに出会います。

山家さんは、悟りや真理について語っていて、「無根拠な幸福感」というものの存在に言及していました。

私は最初、「なんだか怪しいな」と思いましたが、「無根拠な幸福感」という言葉に惹かれ、そのブログに書かれている方法を実践するようになっていったのです。

山家さんの方法論は、「苦しみの受容」と「瞑想の実践」によって成り立っているように、私には感じられました。

「苦しみを避けず、むしろ積極的に味わうことで、それは溶けて消えるのだ」と山家さんは書いていました。

また、「瞑想の実践をすることで、思考や感情が沈静化し、それらから自由になれる」といったような意味のことも書いていました。

苦しみを抱えながら、自己否定や後悔の念に苛まれていた当時の私は、それらの教えを知って「まさに今の自分に必要なことじゃないか」と思ったものです。
それで、「一つ、これをとことんやってみよう」と私は決意したのです。

それからは、仕事のかたわら、「苦しみの受容」と「瞑想の実践」をおこなう生活が始まりました。
当時はまだ仕事の時間も短かったので、空いた時間にたっぷり実践をする余裕もあったのです。

しかし、「苦しみを味わうこと」はなかなか大変なことでした。

当時の私の中は苦しみでいっぱいでしたし、いくら味わって溶かしても、切りがないように思えたものです。

また、瞑想をしていると、妻のことを不意に思い出して辛くなったりもしました。

一生懸命に坐って瞑想していても、私は自分の思考や感情からまるで「自由」になれなかったのです。

ですが、一年ほど実践を続けていると、目に見えて成果が出始めました。
苦しみに囚われることが減ってきて、思考や感情に巻き込まれにくくなっていったのです。

私の心は徐々に元気になっていき、長めの労働にも耐えられるようになりました。
それで、収入が安定したことで生活保護からも抜けることにでき、暮らし向きもだいぶ立て直せました。

思えば、私が自分の実践に集中できたのも、生活保護で命をつなぐことができたからだと思います。

この制度があったからこそ、私は自分自身をゆっくり休めることができましたし、自分のことを回復させるために必要な実践をすることもできたのです。
本当に感謝しています。

それからは、家で坐って実践をすることはやめて、生活の全部を使って実践をするようになっていきました。

たとえば、朝起きてから寝るまでの間、ずっと瞑想状態(内側が静かな状態)を維持するようになりました。
また、仕事中に苦しみを感じた場合には、すぐにそれを味わって溶かすようにしていったのです。

そうしているうちに、私は自分の呼吸が再び深くなっていることに気づきました。

それは、懐かしい感覚でした。
胸には穏やかな解放感があって、「自分は自由だ」と私は感じました。

内側に「苦しみの影」は見えず、ずっと抜けなかった「肩の力み」も消えていました。
身体の中では、息が深く入ってきて、それから細く長く出ていき、寄せては返す波のように、呼吸が繰り返されていました。

そして、そのゆったりとした呼吸の波を感じながら、「自分は今、幸せだ」と私は思ったのです。

私はその時、「自分は苦しみを乗り越えたのだ」とわかりました。

悪夢のような時間は終わりを告げ、私は再び「自由」の中へと戻ってきたのです。

それからも私は、山家さんに度々メールで指導を受けながら、実践を続けていきました。

瞑想は生活の全体に広がり、「内側の静けさ」が次第に根を張っていきました。
苦しみが生じることはほとんどなくなり、たまに苦しみを感じても、それはすぐに溶けて消えるようになっていったのです。

そうして生活そのものが実践となり、約2年の月日が経ちました。
私は最終的に、山家さんから直接「卒業の言葉」を受け取るところまで歩き切りました。

私の内側で「自由」は大きく育ち、私の心はもう迷いや疑いに囚われることはなくなっていました。

それ以来、生活の中には「静けさ」と「穏やかさ」が満ちており、胸にはいつも「心地よい幸福感」があります。

「これが『自由の味』なんだ」と私は自分で納得しました。

呼吸はどこまでも深くなり、肩の力がストンと抜けて、「全てこれでいい」と私は思いました。

「何も変えようとしなくていい」
「一切は、このままで既に美しい」

私はやっと、かつて失った「自由」の中へと戻ってきたのです。

それも、もっともっと大きく育った「果てしない自由」の中へと。


そんな「自由」を日々生きるようになってから始めたのが、このブログです。

私は自分が生きている「自由」を、誰かと共有したくなりました。

今の私の中では、「囚われない心」「深く息をする身体」とが手を取り合って共存しており、私自身は「穏やかな幸福感」の中で日々を生きています。

そして私は、この「自由の味」を、たくさんの人に知ってほしいと思っています。

今の世の中では、誰もが仕事や家事に追われており、息つく暇もありません。
それこそ、ほとんどの人は自分の息を感じることさえもないでしょう。

ですが、全ての人の中には「その人だけの自由」が宿っています。

そして、その人の心は「こっちに行きたい」「次はこっちがいい」と言って、いつもささやいているのです。

自分の心が発する声に、一度耳を澄ませてみてください。

あなたの心は今、「自由」ですか?

そこにはひょっとすると、「こうでないといけない」「こんな風になってしまったらおしまいだ」という想いがあるかもしれません。

だとしたら、きっとあなたの心はそうした想いによって、大なり小なり縛られていることでしょう。

私は、全ての人に「心の自由」を取り戻してほしいと思っています。

かつて誰もが持っていたであろう「あるがままの自分」を、もう一度生きてほしいのです。

そのために、わたしは文章を書いています。
また、瞑想会を主催して、「自由の味」を手渡すための場所も開いています。

もしあなたが「自由な心」を探しているのであれば、どうか私にその手伝いをさせてください。

あなたが、「あなた自身」に還って行けるように、私は協力したいと思っています。

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