プロフィール

湯浅和海(ゆあさ かずみ)と言います。
1984年生まれです。

私は幼い頃から「人に認めてもらいたい」という気持ちの強い子どもでした。
たぶん、両親が共働きでいつも家にいなかったことが関係しているのではないかと思っています。
兄弟もいなかった私は、毎日家で一人で留守番をしながら、親が仕事から帰ってくるのを待っていたものです。

それゆえ、まだ幼かった当時の私は、心のどこかにいつも寂しさを抱えていました。
そして、「誰かにそれを埋めてもらいたい」と強く願っていたように思います。

その後、大人になってから、私は精神的な不調をしばしば経験するようになりました。
人との関係がうまくいかず、数年間にわたって引きこもっていた時期もあります。
薬を一気飲みして自殺を図ったこともありました。

おそらく、子どもの頃に漠然と感じていた寂しさが、私の中でいつの間にか大きく育ってしまっていたのだろうと思います。
私はいつも「満たされなさ」に苛まれ、それを満たしてくれる誰かを求めては、期待と失望を繰り返し続けたのです。

そうして次第に、私にとって「生きていくこと」は、それ自体が大きな苦痛になっていきました。
そして私は、その自分の苦しさを何とかして解決しようと試み始めたのです。

たとえば、ボディワークや心理療法、瞑想法や呼吸法などの種々の技法を、私は自分で学んで実践してみて、苦しみを終わらせようとしました。
また、「遠方に有名な先生がいる」と知れば、足を運んで教えを求めたこともあります。

しかし、苦しみはなかなか消えてはくれませんでした。
気づいてみると、私がそうやって「自分を救う方法」を探求し始めてから、10年近い月日が経っていました。
それにもかかわらず、私の苦しみは消えなかったのです。

当時の私は、もう「苦しみを消すこと」をほとんど諦め始めていました。
「自分はきっと一生幸せになれないのだ」と絶望し、技法の実践もいつからかやめてしまっていました。

ただ、そんな私に転機が訪れました。
確か2023年の頭頃だったと思います。
私は、山家直生(やまいえ なお)さんという方が運営している「空白JP」というブログを見つけたのです。

空白JP – 悟りと真理について

このブログの管理者である山家さんは、真理を探求する方法について発信していました。
私はその文章を読んで深い共感を覚え、「自分にとって最後の試みとして、これを徹底的に試してみよう」と思いました。

それからのち、私は「空白JP」を読んではそこに書いてある内容を実践し、時には山家さんにメールで指導を仰ぎながら、少しずつ前進してきました。

もちろん、すぐに楽にはなりませんでした。
ですが、実践を始めて1年ほどが経ったとき、目に見えて苦しみが減ってきたのを私は感じ始めたのです。

それで「この方法に間違いはない」と感じた私は、その後も山家さんが提唱する方法を、自分なりに実践し続けました。
すると、私の苦しみは日に日に小さくなっていき、最終的には「人はただ存在しているだけで幸福を感じることができるのだ」とさえ、私は考えるようになっていったのです。
苦しみから抜ける道筋を示してくださった山家さんには、心から感謝しています。

このブログで私が発信している方法論は、私が山家さんから学び、自分なりに実践してきたことを、具体的な形にしてまとめたものです。
言い換えれば、山家さんが提唱されている教えを、私なりの仕方で再構築したものであるということです。

もちろん、山家さんが提唱している方法論を、そのまま書いているわけではありません。
たとえば、私自身が実践の中でつまづいたポイントであるとか、個人的に「あのタイミングでこのことがわかっていたら、助かったかもしれないな」と感じる事柄などについて、なるべく意識的に記事の中には盛り込むようにしています。

とはいえ、いくら私が「つまづくポイント」を指摘しているとは言っても、だからといって、私が提唱している方法が「楽」であるとは言い難いと思っています。
私は記事を書く時になるべく「わかりやすさ」については重視していますが、「理解できる」ということと、「容易に実践できる」ということとは、必ずしも一致しません。

ですが、かつての私と同じように、長い間にわたって苦しみに直面してきた人というのは、そもそも「楽な道」なんてどこにもないことが、既にわかっていると思います。
そういう人は、ただ「本当に苦しみを消すことのできる方法」をこそ、欲しているはずです。
たとえ、それが「楽な道」ではなかったとしても、です。

私のブログは、基本的にそういう人を読者として想定しています。
言い換えれば、「どうすれば苦しみを消せるのか」と考え続けてきて、「苦しみを消すための方法」を真剣に実践する用意のある人です。

私のブログが、そういった方の助けになれば、幸いです。