私はよく、「自分の幸福を育てるために、味わって食べることを実践してみましょう」とかいったことをよく書きます。
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こうした記事を読んだ人の中には、実際に日々の生活の中で「ご飯を味わって食べる」ということを現に実践している人がいるかもしれません。
しかし、たぶん何日か実践を続けていると、だんだん疲れてうんざりしてくるはずです。
なぜなら、毎食毎食、「味わって食べよう」と思っているうちに、だんだん「味わって食べること」が強迫観念になってきてしまうからです。
こういった場合、当人の中では「葛藤」が生じ始めます。
つまり、「幸福を育てるためにも、ちゃんと味わわなきゃ」という考えと、
「えー、もうそんなのどうでもよくない?それより気楽に食べようよ」という感情とが対立し始めるわけです。
こういう場合、どうしたらいいかというと、
原則として「感情」のほうを優先してください。
そもそも、「味わわなければならない」という義務感が生じている時点で、その人はもう「心」で味を感じてはおらず、「頭」で物事をコントロールし始めています。
そのような状態で無理に「味わう実践」を続けても、かえって「頭による独裁」が強化されるだけです。
なので、「もうやだ!やりたくない!」と感じたら、すっぱりやめることが大事です。
「え、いいの?」と思うかもしれませんが、別にそれで何も問題ありません。
なぜなら、それがその人にとって「心の声」だからです。
そもそも私たちは、「大いなる存在」と「頭」ではなくて「胸にある心(ハート)」でつながっています。
なので、もしも「頭」と「心」が対立したら、基本的に「心」に従っておいたほうがいいです。
逆に、もしも「頭」に従って生きた場合、あなたは「宇宙そのもの」に対してケンカを売ることになるので、必ず負けます。
もちろん、社会的な生活を維持するために、時には「心」に一歩引いてもらう必要もあるかもしれませんけれど、「自分の幸福」を育てる際には、全面的に「心」に全振りして問題ありません。
というか、むしろ「そうするべき」です。
なぜなら、「幸福」というのは「頭」で考えるものではなく、あくまでも「心」で感じるものだからです。
読者の中には、私がいつもご飯を丁寧に味わっていると想像している人もいるかもしれません。
でも、別に全然そんなことはないのです。
私はただ「食べたいと思ったもの」を「食べたい仕方」で食べているだけです。
私は「こういう仕方で食べないといけない」とは一切思っていませんし、「常にしっかり味わうべきだ」とも思っていません。
また、「毎回自炊しないといけない」とも思っていなくて、出来合いの弁当で済ますこともあります。
あなたも時々、無性にジャンクフードを食べたくなることがありませんか?
そういう時に私は、カップ麺やスーパーの弁当を買ってきて、一人でパーティーを開催します。
それはもう「イケイケゴーゴー」で楽しみます。
そして、そうすることによって「心」が一度満足すると、また自然と自炊したくなったりするものなのです。
このように、私は「こうでないといけない」という観念を全く持っていません。
それは、私が「もしも楽しければ、それが『今の自分の正解』だ」と思っているからです。
そういう意味では、私は「快楽主義者」です。
私は、自分自身を決して束縛せず、ただ「心が欲すること」をします。
それがたとえどれほど「常識はずれなこと」であろうとも、「心」が「やりたい」と言うのなら、それは私にとって「正解」なのです。
なので、たとえ私がこのブログで何を言おうとも、決してそれを「金科玉条」にはしないことです。
「私の言葉」と「自分の心」が対立するようなら、迷わず「自分の心の声」に従ってください。
ただ、問題は、「頭」がしばしば「心の声」を偽装することなんですよねぇ…。
実際、「頭」はあたかも「心でこう感じている」かのような雰囲気を出しながら、私たちに囁きかけてくることがあります。
そして、まだ「頭」と「心」の区別がついていない人は、これにコロッと騙されて、「頭の奴隷」になってしまうのです。
そういった人たちが「頭」と「心」の見分けがつくようにするための理論書として、『「心」を生きる幸福論』を現在執筆しています。
ちなみに、既に校正作業も終わり、後はAmazonに入稿するだけの状態です。
これで、サンプルの印刷が問題なさそうなら出版しますが、
早ければ2/20、遅くとも2/21には販売が開始されると思います。
「どうしても頭と心の見分けがつかないよ!」という方は、ぜひ本書を読んでみてください。
はい、結局宣伝でした。
…。
ということで、待て!続報!
【追記】
『「心」を生きる幸福論』の特設ページを設置しました!
興味のある方は、ぜひのぞいてみてください!

『「心」を生きる幸福論』

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