当ブログの文章と筆者の著作物は全て著作権フリーですので、どうぞご自由にお使いください。

自我

Q&A

「自我」と「魂」の間で生じる綱引き|苦しみと向き合うことで、自動的に理想は放棄される

先ほど、読者の方とメールでやり取りをする中で、非常に重要な論点について触れたので、ブログでも共有しておこうと思います。このところは「身体論」の記事が多かったですが、今回は久々に「真理の探求」についての話です。そのメールでやり取りをした方は、...
ブログ記事

「絶望」とは何か?「希望」にしがみつくことをやめた時、人は「絶望」を通じて生まれ変わる

「絶望」という言葉を聞くと、あなたはどんなイメージを持ちますか?「絶望に打ちひしがれる」なんていう表現もありますが、「絶望するのはとても苦しいことだ」と思っている人も多いのではないでしょうか?しかし、「絶望」というのは決して「悪いもの」では...
ブログ記事

「我」が強いと探求はできないのか?探求を始めることができるのは「強固な自我」の持ち主だけ

私はいつも、「『自我』の言うことを信用してはいけない」とか、「探求の過程で『自我』は希薄化していく」とかいったことを書いています。こういった話を聞くと、人によっては「『自我』が強い人は探求に向いていないのかな?」と思うかもしれません。「自分...
ブログ記事

「至福」と「エクスタシー」の違いは何か?「エクスタシー」という名の「悟りの一瞥」について

世の中では、「薬物を使用することによって、『悟り』と同じ精神状態を作り出すことができる」と言われることがあります。私自身はドラッグなどを使った経験はありませんが、「強烈な歓喜」のような激しい感情を味わうことで、一時的に解放感を感じることがで...
ブログ記事

「倫理的」とはどういうことか?哲学者と探求者それぞれの「倫理」に関する向き合い方

かつて、池田晶子さんという哲学者がいました。もう亡くなられてしまったのですが、彼女は「哲学エッセイ」というジャンルを作った草分け的存在と言われています。そんな池田さんは、ある著書の中で「道徳」と「倫理」という言葉について、自分の中で明確に使...
ブログ記事

人々が探している「自分」とは何か?「自分探し」と「自己理解」が、真理の探求とすれ違う時

「自分探し」という言葉が、一昔前に流行りました。いえ、もう二昔くらい前の話かもしれませんね。いずれにせよ、かなり多くの若者たちが、「自分」というものを探していたわけです。しかしそれは、探求者が「自己(セルフ)」について探求するのと、何か違っ...
ブログ記事

思考における「三つの層」|瞑想をすると、本当に考えることができなくなるのか?

瞑想の実践を始めたばかりの頃には、「瞑想をすると思考が無くなると言うけど、本当だろうか?」と疑問に思う人がいるかもしれません。もちろん、それは本当のことです。でも、私がそのように答えると、「じゃあ、瞑想をするとものを考えることができなくなっ...
ブログ記事

【瞑想の実践における壁】思考や「自我」を切り分ける、「識別(ヴィヴェーカ)」の段階的成長

探求の世界に「識別(ヴィヴェーカ)」という言葉があります。いったい何を「識別」するのかというと、「意識」と「意識でないもの」とを切り分けます。なお、「意識」については、以下の記事が参考になります。【第7回】世界はなぜ「この自分」からしか見え...
全記事カテゴリー

【第12回】「瞑想」の第四段階《理論と実践》|「自我」は「虚構」に過ぎないと理解する

前回の記事では、「瞑想的な日常生活」を実践することで、「非常に大きな気づき」が起こるという話をしました。その「気づき」とは、「『自我』と『自分』とは別のものである」という気づきです。【第11回】「瞑想」の第三段階《理論と実践》|「自分は観察...
全記事カテゴリー

【第11回】「瞑想」の第三段階《理論と実践》|「自分は観察者だ」という錯覚に気づく方法

「第10回」と「第10.5回」の記事で、瞑想の第二段階である「集中しない瞑想」について解説し、それとの関連で、前回は「退屈」についての「特別記事」を投稿しました。【第10回】「瞑想」の第二段階《理論編》|二種類の「サマーディ」を知ることの意...