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「自意識」との摩擦を去って、「他力」でもって表現する|「上虚下実」の重要性について

youtubeで動画を上げ始めて、今日で6日が経つのですが、投稿した動画の本数がショート動画68本にロング動画22本で、合計90本に達しました。

そうしたら、どうも投稿ペースが速すぎたことで、youtubeから「これは人間ではなく、ボットが同じような動画を量産しているのではないか?」と疑われたらしく、ショート動画が全然再生されなくなりました。

つまり、youtubeが、通行人に「チラシ」を配ってくれなくなったわけですね。

この状態があんまりひどくなると、チャンネルに何かしらのペナルティや制限が加えられることも考えられるので、これから数日の間は、あえて投稿ペースを落とそうと思っています。

この話も、本当はラジオでしたかったのですが、それをすると、「アップできずにいる動画」が渋滞していってしまうので、ブログで記事にすることにした次第です。

いやー、やっぱり私って「人間じゃない」と思われるっぽいですね。

以前、本をバリバリ執筆していた時も、毎日のように2万文字~3万文字くらい書いていましたし、一番多かった時は、一日で5.5万文字書いたこともありました。

筆の早いプロのライターが調子のよい時にフルスロットルで書いて一日1万文字~2万文字らしいので、私の執筆ペースは完全に「壊れて」います。

今回のyoutubeにしても、普通、初心者は一本動画をあげるだけでも数日かかるそうです。

企画を練って、台本を書いて、緊張しながら撮影して、時間をかけて編集して…、それでやっと公開にこぎつけるわけです。

でも、私の場合は、企画は自分で考えず、完全に「他力」に任せていますから、アイデアは向こうから勝手にやってきます。

むしろ、やってくるアイデアを全部形にするのが追いつかないくらいです。

また、台本も一切書かずにその場の思い付きで喋っていますし、カメラを回している時も、家で一人でリラックスしている時と変わらないような自然体でいるので、いくら喋っても疲れません。

むしろ、喋れば喋るほど、かえって元気が出てくるぐらいです。

ただ、編集作業だけは、ちょっと大変かもしれないですね。

字幕を調整したりする作業は、神経と目を使います。

そこだけちょっと疲労を感じるかもしれません。

とはいえ、基本的には「車輪の自動運動」のような感じで、くーるくると動画を作成し続けています。

それで、気づいてみたら、「6日で90本」という「わけのわからんペース」で動画をアップすることになってしまい、youtubeからも「こいつ、ホントに人間か?」と疑われてきているみたいです。

でも、人間というのは、本来これくらいは当たり前にこなせるだけの潜在能力を、みんな持っていると思います。

私が何か「特別」なわけではなくて、身体が整って、心が透明になれば、同じようなことは誰でも可能だと思うのです。

いや、まぁ、別にわざわざ私と同じようなことをしなくてもいいのですけれど、私が「特別」なわけではない、という話ですね。

そもそも、多くの人が私のようなペースでアウトプットをできない理由は、主に二つあると思っています。

一つは、世の中の多くの人は、「自意識」との間で摩擦が起こって消耗するからで、
もう一つは、彼らの「氣」が上にあがってしまって、身体のバランスが崩れているからです。

まず「自意識」との摩擦についてですが、たぶん、世の中の多くの人が表現活動をする場合、
「自分の作品はどう見られるだろう?」ということを考えると思います。

「こんなことを言ったら叩かれるかな…」とか、
「ここはもうちょっと整えないと、視聴者が離れていくかも…」といったことを気にするのではないでしょうか?

だからこそ、事前に企画もキッチリ練るわけですし、言い間違えたり、途中でしどろもどろにならないよう台本を全部用意するわけです。

その上で、撮影している時も、ずっと「自意識」と闘いながら動画を撮ることになるでしょう。

誰だって「いいカッコ」がしたいでしょうから、時にはつい背伸びした言動を取ってしまったり、緊張のあまり、動きがぎこちなくなったりすると思います。

でも、私にはそういったことがありません。

そもそも、私にとって「世界」とか「他人」は「虚構」であり、
「人生」というのは「深刻な現実」ではなく、あくまで「面白おかしい茶番」です。

だから、私は別に「いいカッコしよう」とも思いませんし、「他人から評価されるようにちゃんとしよう」とも考えていないのです。

また、さっきも書きましたけど、私は基本的に全部「他力」に任せ切ってしまっているので、アイデアは自分で考えませんし、カメラの前で話す際も、家で一人でリラックスしている時と同じテンションで、心のままに喋っています。

そんな感じで、「自力」を全然使っていないので、いくら活動しても疲れないわけです。

これが、世の中の多くの人と私の間にある違いの一つ目です。

もう一つの違いとしては、私が基本的に「肩の力を抜いている」ということが挙げられると思います。

これは、「自力でやっていない」ということを、身体的な側面から見たものですね。

実際、「自分で頑張ってやるんだ!」と思っている人は、だんだん肩が力んできて、眉間にシワが寄ってきます。

つまり、「氣」が上にあがってきてしまうわけです。

こうなると、心身はリラックスしていることができなくなって、「自然体」をキープすることができなくなります。

それで、エネルギー効率が悪くなってしまい、活動する際に疲れやすくなっていくわけです。

逆に、肩の力を抜いて、「まぁ、テキトーでええやんけ」という感じになっていると、自然と「氣」は下に降りてきます。

肩の力が抜けて、上半身はリラックスし、代わりに下っ腹が充実してくるわけです。

これを中国の身体哲学では、上虚下実じょうきょかじつと呼んでいます。

肩とみぞおちが緩んでいて、腰と肚が充実している状態ですね。

で、この状態になると、自然と「他力」が働き出して、ものすごい力が発揮されてくるようになります。

なんでそうなるのかは、私も知りません。

理由はわからないのですが、肩とみぞおちを緩めて、腰と肚を充実させると、
人は自動的に「何か大きなもの」と接続されるようになるのです。

あるいは、「何か大きなもの」と接続されるようになることで、自然と「上虚下実」になっていくという見方もできます。

実際、「何か大きなもの」に身を任せていると、当人はだんだんリラックスしていきます。

「あぁ、そうか。これで最初からよかったんだ」と思って、「大きな流れ」に身を任せて、そのまま流されていくことによって、その人の心身は深くリラックスするようになるわけです。

そして、心身が深くリラックスすると、自然と肩とみぞおちは緩んできて、「氣」が腰と肚に集まってくるようになります。

なぜかわからないですけど、そういうものなのです。


ということで、次回のレクチャー動画では、肩とみぞおちを緩めて、下っ腹に「氣」を集める「丹田呼吸法」の解説動画を撮ろうと思っています。

「どうしても肩に力が入ってしまう」という方や、「氣」が上にのぼって頭がカッカッしやすいように感じている方などは、ぜひ実践してみてほしいと思います。

それでは、今日も肩の力を抜いて、「楽観的」に行きましょー。

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