当ブログの文章と筆者の著作物は全て著作権フリーですので、どうぞご自由にお使いください。

束縛

エッセイ

「自由な生」とは義務ではなく、その人自身の命が導く必然である

私はブログや書籍の中でよく「身体の声を聴きましょう」ということを言います。たとえば、「今、何を食べるべきなのか」は身体が知っているので、頭で栄養素を考えたりせず、身体が欲しているものをこそ食べたら健やかになれると、私としては思うのです。でも...
エッセイ

坐禅やヨーガのアーサナなどの「形」を、「自由な人」は「快」と感じる

この数日、時間が空くと坐禅を楽しんでいるのですが、坐禅の「形(かた)」というのは、本当に気持ち良いです。たぶん、坐禅に限らず、ヨーガのアーサナ(ポーズ)なんかも、もともとは「気持ちの良いもの」だったのだと思います。私は想像するんですが、きっ...
ブログ記事

「内側の混沌」が静かに口を開ける時|「自由からの逃走」と「束縛された心」について

私は「自由」についてよく書いていますが、それはあくまでも「内側の自由」についてです。それは言い換えると、「心が自由である」ということです。もしも「心が自由である」ならば、たとえ身体を縛られたとしても、当人はそれを束縛とは感じません。当人は何...
ブログ記事

「猫」とは「自由な心」のメタファーである|沢庵禅師が語る「内なる猫」との付き合い方

X(旧Twitter)と、このブログにおける私のプロフィールアイコンは「猫」の画像にしているのですが、今回は「なんで猫にしているのか?」という理由を書いてみたいと思います。まあ、半分くらいは「昔から猫が好きだから」なのですが、もう半分の理由...
ブログ記事

私の言葉に束縛されないように|「相対的な真実」に固執せず、「読後の解放感」を大事にする

今回はちょっとした注意喚起と言うか、「私の言うことを信じ込まないように」という話をしたいと思います。もちろん、「技法のやり方」などについては、なるべく忠実に私が言った通り実践してほしいと思っています。ですが、それは「道具を取扱説明書の通りに...
全記事カテゴリー

【第8回】「瞑想」の実践の全体像|四つの段階のロードマップ

前回の記事で私は、「意識(本当の自分)」とはどういうものかについて、読者の方に考えてみてもらいました。そして、「意識(本当の自分)」と「自分ではないもの(名前、肩書、人格、身体など)」とを同一視すると、そこから束縛が生まれることを説明したの...
全記事カテゴリー

【第7回】世界はなぜ「この自分」からしか見えないのか?「意識」の謎について

前回まで、数回にわたって「純粋な喜び」について説明してきました。私たちの存在の本質は「純粋な喜び」であり、そこに至るためには、自身のうちに積み重なった「古い感情の層」を取り除く必要があります。そして、「古い感情の層」を取り除くには、「苦しみ...