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悟り

エッセイ

「自分にはわかった」と思った瞬間から、その人の「堕落」は始まっていく

先月末から書き始めた、道元の現成公案げんじょうこうあんについての解説本ですが、一昨日くらいに最後まで書き終わっていました。ただ、ここ数日で、認識が大きく書き換わったので、それに合わせて頭からリライト作業をおこないました。前は「悟り」という「...
エッセイ

あえて「天」に逆らう|無意識に「罪人」を作り上げる「心の隙」と私自身の「弱さ」について

私は最近、「天」という言葉を多用しており、どこか発言内容が「宗教」っぽくなってきていました。別に「宗教」そのものは悪くないのですが、そうしてどこか私の言葉は浮世離れし始めていたようにも思います。このところ何度か言っていることですが、「深い呼...
エッセイ

「世界」は実在しないのだから、ただ「無意味さ」の中で踊ればいいだけ

私は時々、「世界は実在しない」と言いますが、人によっては「それなら、どうしてお前はこんな風に世の中の他人に向かって文章を書いているのだ」と言いたくなるかもしれません。これについて私は、「半分遊び」で、「半分本気」です。まず、私の言う「世界は...
エッセイ

「覚醒」から逃げ出す人々|「覚醒」とは「責任の自覚」の別名である

「現成公案」の解説本、第二章が書き終わりました。この章は、「現成公案」の中の有名なフレーズである「仏道をならふといふは、自己をならふ也」を解説する章です。道元は「仏道」と言っていますが、これは彼が仏教徒だからであって、現代風に解釈するなら、...
ブログ記事

【進捗報告】「跡形のない悟り」をどこまでも表現し続ける

あいかわらず執筆を続けています。それで、書くべきことも残り少なくなってきたので、タイトルを決めました。『「自由」とは、深く息ができるということ―呼吸と瞑想で「内なる光」を生きる』これにしました。この本のテーマは「自由」であり、「自由の定義」...
ブログ記事

「自由」とは、「深く息ができる」ということ|プロフィールページ刷新のお知らせ

最近、認識に大きな変化があったため、プロフィールを一から書き直しました。筆者プロフィールその認識の変化とは、「悟りを絶対視しなくなったこと」です。以前は、「人が苦しみから救われるには、絶対に悟りという『ゴール』まで辿り着かないといけない」と...
ブログ記事

「あなたの光明」を表現してほしい|「真理」という概念を追わず、「自由」という感覚を問う

◎「サット・チット・アーナンダ」は探求を助ける「概念」に過ぎない最近、認識にかなり大きな変化がありました。読者の方と質疑応答をする中で、「悟りとは何なのだろう?」と改めて問い直したことが、きっかけとして大きかった気がします。詳しくは、こちら...
Q&A

【Q&A】「PNSE(継続的非記号体験)」についての個人的な見解

先日、読者の方から質問のメールをいただきました。質問者に確認したところ、「質疑応答を公開してもOK」という許可をいただけましたので、ブログ上で公開し、読者の皆さんと共有したいと思います。なお、今回の質問者のお名前は、ここでは「Aさん」とさせ...
ブログ記事

「我」が強いと探求はできないのか?探求を始めることができるのは「強固な自我」の持ち主だけ

私はいつも、「『自我』の言うことを信用してはいけない」とか、「探求の過程で『自我』は希薄化していく」とかいったことを書いています。こういった話を聞くと、人によっては「『自我』が強い人は探求に向いていないのかな?」と思うかもしれません。「自分...
ブログ記事

いつになったら「悟った」と判断していいのか?探求の過程で陥りがちなピット・フォール五選

前回の記事で、「覚者というのは独善的なのか?」ということについて論じました。覚者は「独善的な人間」なのか?「歪められた自己認知」と「徹底した自己観察」を対比する論考覚者は誰か他人から「悟り」を承認してもらうわけではなく、自分自身で「悟った」...