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光明

ブログ記事

【進捗報告】「跡形のない悟り」をどこまでも表現し続ける

あいかわらず執筆を続けています。それで、書くべきことも残り少なくなってきたので、タイトルを決めました。『「自由」とは、深く息ができるということ―呼吸と瞑想で「内なる光」を生きる』これにしました。この本のテーマは「自由」であり、「自由の定義」...
エッセイ

誰もが「内なる光」を生きるということ

今、少し思うところがあるので、文章を書いておこうと思います。私が文章を書いている時、そこには「何らかの価値を提供したい」という想いもあるのですが、それよりも強いのは、「どうか『自分自身』であってほしい」という想いです。私たちの社会には、昔か...
ブログ記事

「自由」とは、「深く息ができる」ということ|プロフィールページ刷新のお知らせ

最近、認識に大きな変化があったため、プロフィールを一から書き直しました。筆者プロフィールその認識の変化とは、「悟りを絶対視しなくなったこと」です。以前は、「人が苦しみから救われるには、絶対に悟りという『ゴール』まで辿り着かないといけない」と...
ブログ記事

「あなたの光明」を表現してほしい|「真理」という概念を追わず、「自由」という感覚を問う

◎「サット・チット・アーナンダ」は探求を助ける「概念」に過ぎない最近、認識にかなり大きな変化がありました。読者の方と質疑応答をする中で、「悟りとは何なのだろう?」と改めて問い直したことが、きっかけとして大きかった気がします。詳しくは、こちら...
ブログ記事

「自由」を生きるということ|誰もが「自身の光明」を表現している

最近、ぽつぽつと質問のメールが届くようになりました、そのうち、現時点で3つのQ&A記事がブログ上で公開されています。【Q&A】忙しい生活の中で、どうやって瞑想的に暮らしたらいいのか?【Q&A】実践中に恐怖を感じた場合、どうしたらよいのか?【...
ブログ記事

悟ることができるのは「傑出した人物」だけなのか?探求とは「究極の平凡さ」へ向かう旅である

前回の記事で私は、「全ての覚者が常に『知的』であるとは限らない」と書きました。「覚者」を見分ける二つの基準|「雄弁な無知者」と「口ごもる知者」のパラドクス「覚者というのは深い叡智を宿した人であり、必ずや知的で学識のある人のはずだ」と思ってい...