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Q&A

【Q&A】忙しい生活の中で、どうやって瞑想的に暮らしたらいいのか?

今回はQ&A記事になります。質問をしてくださった方は、ここではBさんと呼ばせていただこうと思います。ただ、Bさんからの最初のメールは個人情報が満載なので、そのまま公開するのは避けようと思います。代わりに、私のほうでBさんが置かれている状況や...
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「倫理的」とはどういうことか?哲学者と探求者それぞれの「倫理」に関する向き合い方

かつて、池田晶子さんという哲学者がいました。もう亡くなられてしまったのですが、彼女は「哲学エッセイ」というジャンルを作った草分け的存在と言われています。そんな池田さんは、ある著書の中で「道徳」と「倫理」という言葉について、自分の中で明確に使...
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人々が探している「自分」とは何か?「自分探し」と「自己理解」が、真理の探求とすれ違う時

「自分探し」という言葉が、一昔前に流行りました。いえ、もう二昔くらい前の話かもしれませんね。いずれにせよ、かなり多くの若者たちが、「自分」というものを探していたわけです。しかしそれは、探求者が「自己(セルフ)」について探求するのと、何か違っ...
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【再考】「存在する喜び」について|「相対的な幸福論」と「絶対的な幸福論」に関する論考

今回は、「幸福とは何だろう?」ということを考えてみたいと思います。いわゆる「幸福論」というものですね。「人はどうすれば幸福になれるのか?」「真の幸福とは何なのか?」そういったことを考えるのが、「幸福論」なのではないかと思います。これまで、古...
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「無執着」は実践できない|「カルマ」が浄化される時と、「カルマ」が積み増しされる時

◎「無執着」は「至福へ至るための手段」ではなく、「至福の定義」そのものである「真理の探求」についての連載が終わって一発目の記事ということで、今回は「執着」について掘り下げていこうと思います。「執着」については、連載の中でも何度か言及したこと...
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【最終回】「世界の実在性」が崩壊する時|「世界」という最後の束縛からの自由について

前回の記事では、「チット(意識)」と「アーナンダ(純粋な喜び)」の関連性について書きました。【第13回】どちらか一つの理解では足りない|「意識」と「純粋な喜び」の関連性について「真理」を探求していくと、人は「チット」か「アーナンダ」のどちら...
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【第13回】どちらか一つの理解では足りない|「意識」と「純粋な喜び」の関連性について

これまでの記事によって、私は「意識」と「純粋な喜び」について理解する道筋を示してきました。連載の構成としては、第一部が導入として機能しており、「純粋な喜び」を第二部で扱い、「意識」については第三部で扱いました。全体の構成を示す連載目次ただ、...
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【第10回】「瞑想」の第二段階《理論編》|二種類の「サマーディ」を知ることの意味について

「第9回」と「第9.5回」の二つの記事を通して、私は瞑想の四段階における最初の段階、「集中する瞑想」の実践について説明しました。【第9回】「瞑想」の第一段階《理論編》|なぜいったん「自我」を強化するのか?【第9.5回】「瞑想」の第一段階《実...
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【第6.5回】「純粋な喜び」に執着する必要はないことについての解説

前回の記事を書いた後に、補足しておいたほうがいいことがあったに思い至りました。前回の記事の最後では、「次回から『意識=真の自己』について書いていきます」と言っていたのですが、もう少しだけ「純粋な喜び」についての話を続けます。なので、今回はい...
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【第6回】「純粋な喜び」に留まる際のジレンマ|「執着」と「自由」の選択について

前回の記事で私は、「純粋な喜び」に至るための具体的な方法について書きました。【第5回】「苦しみ」を味わうための具体的な方法についてその方法とは、「苦しみを味わうこと」であり、ポイントは三つありました。1,「苦しみ」について思考しないこと。2...