チット

ブログ記事

【哲学的考察】他者に「意識」は存在するのか?「哲学的独我論」と「真我探求」の接点について

今回は、「実践の手引き」とか「探求のヒント」とかいったものではなく、ちょっとした「哲学的な考察」を書いてみたいと思います。その考察とは、「他者にも『意識』はあるのだろうか?」というものです。なお、私の中にも別に「明確な答え」があるわけではあ...
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【最終回】「世界の実在性」が崩壊する時|「世界」という最後の束縛からの自由について

前回の記事では、「チット(意識)」と「アーナンダ(純粋な喜び)」の関連性について書きました。【第13回】どちらか一つの理解では足りない|「意識」と「純粋な喜び」の関連性について「真理」を探求していくと、人は「チット」か「アーナンダ」のどちら...
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【第13回】どちらか一つの理解では足りない|「意識」と「純粋な喜び」の関連性について

これまでの記事によって、私は「意識」と「純粋な喜び」について理解する道筋を示してきました。連載の構成としては、第一部が導入として機能しており、「純粋な喜び」を第二部で扱い、「意識」については第三部で扱いました。全体の構成を示す連載目次ただ、...
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【第12回】「瞑想」の第四段階《理論と実践》|「自我」は「虚構」に過ぎないと理解する

前回の記事では、「瞑想的な日常生活」を実践することで、「非常に大きな気づき」が起こるという話をしました。その「気づき」とは、「『自我』と『自分』とは別のものである」という気づきです。【第11回】「瞑想」の第三段階《理論と実践》|「自分は観察...
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【第11回】「瞑想」の第三段階《理論と実践》|「自分は観察者だ」という錯覚に気づく方法

「第10回」と「第10.5回」の記事で、瞑想の第二段階である「集中しない瞑想」について解説し、それとの関連で、前回は「退屈」についての「特別記事」を投稿しました。【第10回】「瞑想」の第二段階《理論編》|二種類の「サマーディ」を知ることの意...
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【第7回】世界はなぜ「この自分」からしか見えないのか?「意識」の謎について

前回まで、数回にわたって「純粋な喜び」について説明してきました。私たちの存在の本質は「純粋な喜び」であり、そこに至るためには、自身のうちに積み重なった「古い感情の層」を取り除く必要があります。そして、「古い感情の層」を取り除くには、「苦しみ...