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「偶然性」を閉じないことで「必然性」は働ける|当ブログに「特選記事」を設置しない理由

このブログに来られている方たちは、いったいどんな風に読む記事を選んでいるのでしょうか?

「ひとまず新着記事にだけ目を通す」という人もいれば、特定の疑問や悩みを抱えていて、検索窓に「キーワード」を打ち込んで記事を探す人もいるでしょう。

一応、探求全体のロードマップについては、「連載記事」としてまとめてありますし、記事ごとにカテゴリーを割り振って分けているので、そこから目当ての記事を探すこともできなくはありません。

ただ、最近は記事の数がだいぶ増えてきたので、ピンポイントで特定の記事だけを探すのは難しくなってきていると思っています。

とはいえ、これ以上カテゴリーを増やすと、かえってごちゃごちゃしてきて見にくくなる気がしますし、一般的なブログのように「書いた時期ごと」に分ける形式を採用すると、私は「一ヶ月に100記事」くらいのペースで投稿しているので、望んだ記事を探すのが余計困難になるでしょう。

実際、カテゴリーがバラバラな記事が100個もまとめられていたら、読者は「砂浜で特定の貝殻を探す」かのようなことを強いられる結果になってしまいます。

そういったこともあって、以前は「特選記事紹介ページ」というものを設置していたこともありました。

「うちのブログに来たらまずこれを読んでください!」とか、
「こういうお悩みに対する決定版はこれ!」とかいった形で、
こちらから特定の記事をお勧めしていたのです。

でも、結局これもやめてしまいました。

なぜなら、そうやって、書いた私自身が「決定版」を出してしまうと、それ以外の記事には価値がないかのように思い込んでしまう人が出てくる可能性があると思ったからです。

ですが、実際にはどの記事もそれぞれに「固有の価値」があると思いますし、全ての記事が意外なところで別な記事と繋がっていたりします。

それにもかかわらず、「これさえ読めばOK」であるかのように一部の記事だけをリコメンドしてしまうと、かえって読者の「主体的な学びの機会」を奪うことになるかもしれないと思いました。

また、読者によっては、そういった「特選記事」には心が動かされなくて、私に全く選ばれていない記事に深く影響されていたりするかもしれません。

そして、そういう場合、私は間接的にその人の感受性を否定することになってしまいます。

すると、ひょっとしたらその人は、「自分の感じ方がどこかおかしいのだろうか?」という疑問を抱くようになってしまうかもしれません。

つまり、本当はただ、自分の心が感じるままに「読みたい」と思った記事を読んでもらったらいいのに、書いた私自身が「オススメ」を提示すると、あたかも読み方に「正解」があるかのような雰囲気が、ブログ内に醸成されてしまうことになるわけです。

確かに、「初心者にお勧めの記事」とか、「ブログの雰囲気を理解するのに役立つ記事」とかは、うちのブログにもいくつかあると思います。

でも、そういった記事をそれぞれの読者が自分で探すことの中にも「意味」があるのではないかと私は思っています。

実際、私自身も「本屋でたまたま目について買った本」に人生を変えられた経験が何度もあります。

なので、「言葉との出会い」というのは、「偶然」であると同時に「必然」だと思うのです。

「出会うべき言葉」とは、「出会うべき時」に出会えるものです。

そこで、筆者である私が作為して「うまく出会わせよう」とすると、「偶然性」が閉じてしまって、「必然性」がうまく働けなくなるように私は感じます。

私は常々、「人は『自由』であるからこそ、必然的に『宿命』を生きるものだ」と思っているので、「偶然性」というのは大事にしているのです。

だから、あえて「特選記事のページ」は設置していません。

ちょっと不便かもしれませんけれど、そんな不便さの中で「たまたま出会った言葉」にこそ、人は愛着を持ったり、時には「運命」を感じたりするものなのではないかと思います。

要は、「好きに読んでください」ということです。

読み方に「正解」はありません。

あなたが「これが自分の決定版だ!」と感じた記事が、あなたにとっての「正解」です。

ぜひ、心の向くまま、自由に読んでいってほしいと思います。

それでは、ごゆっくりどうぞ。

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