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「ミクロな呼吸法」と「マクロな呼吸法」|身体は「ミクロ」と「マクロ」を行き来して整う

今まで行っていませんでしたが、呼吸法にはと「ミクロなもの」と「マクロなもの」があります。

私の主著である『「自由」とは、深く息ができるということ』の中で解説しているのは、主に「ミクロな視点からの呼吸法」であって、「マクロな視点からの呼吸法」については、実践方法をほとんど書いていません。

これは、「いきなり大きな観点から見るのは難しいだろう」と判断したためでもありますが、当時の私が、まだ「マクロな視点からの呼吸法」について、きちんとした方法論を構築できていなかったためでもあります。

ですが、最近少しずつ、「ミクロ」と「マクロ」の呼吸法について整理がついてきたので、今回は記事を書いて情報を共有しておきたいと思います。

では、いってみましょう。

◎通した糸を「マクロな視点」から上下に引っ張る

まず、「ミクロな呼吸法」ですが、これは本の中でも書いたように、「肩だけ」とか「腰だけ」など、部位を限定して息を通す呼吸法です。

要は、「肩が凝ったら肩で呼吸法をして、腰が疲れたら腰で呼吸法をする」という感じですね。

これについては非常にわかりやすいと思いますし、実践もしやすいはずです。

対して、「マクロな呼吸法」というのは、自分の全身を巻き込んでおこなう呼吸法です。

たとえば、私が過去に所属していた合氣道の道場では、「阿吽あうんの呼吸」というものが実践されていました。

これは、呼吸に合わせて全身に息を満たし、「天地」に軸を通す呼吸法です。

この場合、身体のどこか一か所だけにフォーカスするわけではなく、全身に一度に息を通していきます。

そして、それによって、天と地を結び合わせ、「身体の配列アライメント」を整えるわけです。

それは、たとえて言えば、バラバラに散らばっているビーズ一つ一つに糸を通した上で、その糸を上下にテンションをかけてピンと張ると、結果的に個々のビーズが一列に並ぶようなものです。

「糸全体を張る」という「マクロの動き」を取ることによって、
「個々のビーズ」という「ミクロなパーツ」の配列が自然と正されるわけですね。

ですが、もしここで一個一個のビーズの位置を全部手で調整しようとし始めたら、かなりの労力が必要になるでしょう。

また、糸で固定されていないので、一度配列を整えたビーズが、何かの拍子にズレてしまう可能性もあります。

武道で「体軸」と呼ばれたり、クラシックバレエで「センター」と呼ばれたりする身体感覚は、実のところ、この「ビーズに通した糸」の役割を果たします。

つまり、身体の中に「一本の線」を通してまとめることで、結果的に、身体の個々のパーツを「整列」させるわけです。

こういった「軸の感覚」というのは、だいたいにおいて、最初は指導者のリードによって作ってもらいます。

優れた指導者は「相手の身体のどこをどう調整したら軸が整うか」ということが直感的にわかるので、身体に触れて個々のパーツを動かすことによって、一時的に「軸が通った状態」を作り出すことができるのです。

とはいえ、そういった状態は、すぐに消えてしまいます。

なぜなら、当人の身体にはまだ「軸が通った状態」が馴染んでいないからです。

ですが、一時的とはいえ、当人は「軸が通った時の感覚」を体験していますし、その際に、指導者が自分の身体のどこをどう調整していたかも、いくらか意識化できています。

そのため、こういった「感覚」や「記憶」を頼りにして、そこからその人は「自力で軸を通す」ということを練習するようになっていくのです。

そこにおいて当人は、姿勢を整え、余分な力を抜き、指導者に一度作ってもらった「軸の感覚」を目指して進んでいきます。

そうして徐々に、指導者に整えてもらわなくても、自分だけで「軸が通った状態」を作れるようになり、やがてはそれが完全に身体に定着し、「軸を通そう」といちいち思わなくても、「常に軸が通っている」という状態を保てるようになっていくわけです。

で、この「軸の感覚」が養われてくると、身体の個々のパーツに一つずつ働きかけなくても、ただ「軸を通そう」と思っただけで、自動的に各パーツが「整列」するようになります。

自分の身体を超えた「天と地を結ぶ線」をイメージし、それを上下にキュッと引っ張ることで、その途中に含まれている、全身のパーツが「相応しい位置」に収まるのです。

こんな感じで、呼吸法においても、「天地の軸」をイメージして、そこに息を通していくタイプのものは、個々のパーツは観ずに、一気に全身を整えていきます。

そしてこれが、いわば「マクロな視点からの呼吸法」にあたるわけです。

◎「ミクロ」と「マクロ」両方の視点の必要性

こう書くと、「それなら、『マクロな呼吸法』だけで十分なんじゃないの?」と思うかもしれませんが、必ずしもそういうわけではないのです。

たとえば、さっきの「ビーズに糸を通す例」で説明すると、もしもキレイにビーズを整列させたければ、全てのビーツの存在をきちんと把握している必要があります。

「糸を通しそびれているビーズ」が残っていると、もし糸をピンと張っても、それが取り残されてしまいます。

また、接着剤か何かで固定されているビーズがあった場合、それに糸を通していくら引っ張っても、動かすことができないので、全体が「整列」することがありません。

こういった個々のパーツの「見落とし」や「固着」を解決するためには、「ミクロな視点」から丁寧に身体の細部を点検していく必要があります。

「見落としているパーツは無いか?」
「動けなくなっているパーツは無いか?」

そういったことを点検していき、「見落としていたパーツ」に気づいた場合は、そこに呼吸を通して「存在感」を取り戻してやる。

また、「凝り固まって動けなくなっているパーツ」があった場合も、呼吸を通すことでほぐしていき、再び動けるようにしていきます。

そして、そんな風に個々のパーツを拾い上げて解放していくことによって、改めて全体「軸」を通してピンと張った時に、全身がもれなく「整列」するようになるわけです。

こんな感じで、身体というのは、「ミクロ」と「マクロ」を行ったり来たりすることによって整っていきます。

「ミクロ」だけだと、緩んだ個々のパーツがどこに収まったらいいかわからなくて迷子になることがありますし、
「マクロ」だけだと、時には「問題を抱えたパーツ」を無視してしまい、全体が不調和を起こすことがあります。

これはまた、社会的な文脈で主同じ話でしょう。

たとえば、個々の人間を救う「ミクロな活動」をいくらしても、社会全体が不調和を起こしていたら、結局、人々は「自分が生きていける場所」を見つけることができません。

また、社会全体を一つの「マクロな方向」に整えようとしても、個々の人間の事情を無視して切り捨てては、社会そのものが立ち行かなくなります。

つまり、身体も社会も「ミクロ」と「マクロ」の両方の視点が必要なわけです。

◎私の好みと今後の方針について

ただ、私自身はどちらかというと「ミクロな視点」のほうが好きです。

「社会全体」を変えることには興味がなくて、「個々の人間」と向き合うことを好みます。

また、身体についても、「軸」を通して全身を無理やり「整列」させるよりも、個々のパーツを緩めていくことで、結果的に「軸」が現れてくるように導くほうが性に合っていますね。

そして、そういった私自身の傾向もあって、本の中でも「ミクロな呼吸法」をメインに解説しており、「天地に軸が通った状態」は、「ミクロな呼吸法の結果として自然に起こるもの」と位置付けていました。

また、現在アップしているレクチャー動画についても、全て「ミクロな呼吸法」に関するものばかりです。

最近上げた「背骨に息を通す呼吸法」についてだけは、少しだけ「マクロな視点」も加わっていますが、実践が難しくならないよう、あえて「天地に軸を通す」という考え方は、動画の中に持ち込んでいません。

なので、どこかの段階で、「マクロな視点からの呼吸法」についても、動画を撮って補完しておきたいと思っています。

ただ、そうは言っても、身体を丁寧に感じられないうちから「マクロな視点」に立つと、「単なるおおざっぱ」になりやすいものです。

なので、今しばらくは、「身体の個々のパーツを丁寧に感じていく」という方針で、動画を作っていくつもりでいます。

◎終わりに

ということで、今回は、「ミクロな呼吸法」と「マクロな呼吸法」についての解説でした。

既に「ミクロな呼吸法」の実践が十分に進んでいる人は、「マクロな呼吸法」が自然と起こり始めているかもしれませんが、そこまで行っていない場合には、まず「ミクロな呼吸法」を深めていってください。

その上で、「マクロな呼吸法」については、そのうち動画を撮りますので、最終的には、「ミクロ」と「マクロ」を行ったり来たりすることで、身体を深めていくという方向性が良いのではないかと思います。

読者の方は、「自分の実践」を深めながら、必要な動画だけ観て、参考にしてもらえたらと思います。

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