執筆中の「現成公案・解説本」ですが、推敲と細かい文言の修正が終わり、ペーパーバック化に合わせてレイアウトを最終調整しました。
そして、それによってページ数も確定したので、確定したページ数に基づいた目次を挿入し、本としての形はほぼ完成しています。
ただ、ここから誤字脱字の修正作業が待っています。
毎度のことですが、これが一番時間と神経を使います。
文字を目で追うのと同時に、Wordの音読機能を使って、機械に本文を読んでもらいながら、「耳で聴いても違和感が無いか」を確認していきます。
たぶん、今日丸一日かかるでしょう。
ちなみに、今のところページ数は243ページで、文字数は約七万文字となっています。
サイズは四六判なので、文庫本より一回り大きい感じですね。
それなりにずっしりとした手応えを感じながら読めるのではないかと思います。
もちろん、今回もkindle版を同時出版するつもりなので、デジタルで読みたい人にも対応しています。
kindle unlimitedに加入している人は読み放題になるように設定するつもりなので、加入済みの人はパラパラめくってやってみてください。
ここから誤字脱字の修正が終わって、Amazonに入稿したら、ブログに特設ページを作って冒頭をサンプルとして公開する予定です。
表紙のイメージがまだ全然できていないので、そこをどうするかですが、まぁ、そのうち思いつくでしょう。
しかし、今回の本は、書いている途中で私の認識がリアルタイムで「地殻変動」を起こしたので、内容がかなり紆余曲折を経ることになりました。
第一稿は一気呵成で書き切ってしまったのですが、書いた後になってから、私の中で認識の変化が起こったため、もう一度頭からリライトすることになったのです。
その結果、本書の中には、「過去の私」と「今の私」が混在しながら同居しています。
なぜなら、私は別に「過去の自分」を「完全に間違ったもの」として排除することもしたくなかったですし、かといって、「今の自分の気持ち」も誤魔化したくはなかったからです。
そのような、「過去の自分」と「今の自分」との間で対話がなされながら、第二稿は書き進められました。
そこにはひょっとすると、「あまりスッキリしないもの」が残ってしまったかもしれません。
読んでいて、「魚の小骨が喉の引っかかる感覚」を覚える人もいるでしょう。
でも、立て板に水を流すように、何のためらいもなく語られる言葉というのも、それはそれで「危うい」のではないかと私は思います。
そもそも、どんな人であっても、時には「確信」が揺らぐことがあります。
なぜなら、どれほどはっきり確かめたことであったとしても、「絶対確実なこと」などないからです。
「絶対確実なこと」なんて、「自分は存在する」ということと「自分はいつか必ず死ぬ」ということくらいでしょう。
それ以外のことは、私には正直よくわかりません。
「そんな奴が本なんか書くなよ」と言われるかもしれませんが、よくわからないままでも、身体は勝手に動くものです。
頭が何も理解できなくても、心は何かを感じていて、私のことを導いていきます。
それは一種の「即興舞踊」です。
音楽がどこかから聞こえてきて、私の心と身体は動き出します。
「答え」もわからないまま、「結末」も知らないままに、私は踊り続けます。
すると、そこには結果的に「一つの軌跡」が浮かび上がり、本が一冊書きあがるわけです。
そもそも、私は仏教の学者ではありませんから、「正統的な解釈」というものは知りません。
私はただ、私自身が感じたままに、現成公案を書いた道元という人間の思想について語っただけに過ぎないのです。
だからこそ、私は何らかの「知識」を伝えるつもりでは書きませんでした。
このブログの文章もそうですが、私は読者に「賢く」なってほしいわけではありません。
私はただ、感じてほしいだけです。
心が動く時の感覚を、身体が思わず踊り始める時のワクワクを、私は感じてほしいだけなのです。
私にとって言葉とは、「情報伝達のためのツール」というより、「誰かと一緒に踊るためのBGM」のようなものです。
そこにおいて「主役」は、「舞台で踊っているあなた」です。
私の言葉はあくまで「BGM」であって、その「音楽」に乗りながらあなたが踊り始めることにこそ、「意味」があります。
逆に、私の言葉を何か難しく捉えてしまい、これを「勉強」し始めてしまったら、あなたの足は止まってしまいます。
せっかく「音楽」が鳴っていても、あなたは足を止めて考え込んでしまうのです。
大事なことは、考えたりせずに「ステップ」を踏み続けることです。
私はただ、あなたのことを「ダンスホール」に誘っているだけに過ぎません。
「上手に踊ろう」なんて考える必要はありません。
あなたの心が感じるままに、あなたの身体が導くままに、「あなたのステップ」を踏んでください。
実際、私の文章がもしもあなたの心を動かすならば、あなたはきっと、その「震え」を何かで表現したくなるはずです。
それは、大好きなものを味わって食べることかもしれませんし、楽しい映画を観て胸を躍らせることかもしれません。
あるいは、部屋の中を片付け始める人もいるかもしれませんし、家族にいつもよりちょっとだけ優しく声をかける人もいるかもしれません。
そこに「決まり」はありませんし、「べき」も「べからず」もありません。
だから、記事を読み終わったらもう、私が言ったことは忘れてください。
私が言ったことに縛られる必要はありません。
あなたの心が望むままに、「自分の震え」を踊ってください。
それが、私の望みです。

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