昨日から書き始めた新作の「心に従って生きる方法論」ですが、今朝の時点で第一章まで書き終わりました。
ボリューム的には、「まえがき」が3,000文字くらいで、第一章が10,000文字くらいです。
ただ、今回は先がまだ全然読めないですね。
かなり手探りで書いている感じです。
全体としてどれくらいのボリュームなるかは、書いてみないとわかりません。
ひとまず、「まえがき」では、東洋医学的な「心=心臓」という考え方に立脚し、「心は胸にある」という身体実感をスタート地点に設定しています。
そして、第一章では、「頭」と「胸=心」を対比させながら、「頭で考えている状態」と「胸=心で感じている状態」を、読者が自分で識別できるように「判定基準」を提示しました。
ただ、内容的にはこれまでにブログや他の本で書いたことの詰め合わせです。
それほど「新しいこと」を言っているわけではありません。
いわば、今まで「個々の点」として提示していたものを、「一本の線」に繋げるような論考になっています。
たとえば、本書の中で取り上げた「感心」と「感動」の対比についてですが、これについては過去に、以下のブログ記事で一度論じています。
【関連記事】
「大事なもの」は目に見えない|「目に見える数字」を追わないことの意味について
そもそも、「感心」というのは、「頭」が「量」に反応することで生じるものです。
たとえば、「わずか~歳の若さで、~賞受賞!」とか、「たった~か月間の実践で、月収~万円達成!」とかいった情報に触れた時、「うわー、凄いな!」と思うのが「感心」です。
ここにおいて、当人はその実績の「プロセス」や「質」は全く見ていません。
ただ「数字」だけを見て「感心」しているわけです。
これは、「頭」というものが「量」しか理解できず、「質」を理解できないからです。
反対に、「胸=心」は「量」は気にしないで「質」にだけ反応します。
「相手の年収が高いか」とか、「フォロワー数が多いか少ないか」とか、「全米が泣いたかどうか」とか、そういう「外部情報」を抜きにして、人は自分自身の「胸=心」で「質」を感じ取ります。
それゆえ、たとえ世の中では全く評価されていない人の作品であっても、「感動」する人はするわけです。
そこにおいて、「数字」は気にされていません。
なぜなら、「胸=心」にとっては、ただ「体験の質」だけが大事だからです。
また、「感心」をしている人は、「自分の価値観」を揺さぶられることがありません。
むしろ、「価値観」が固定化されているからこそ、「数字」を物差しにして相手のことを計れるのです。
逆に、「感動」している人は、「それまで握りしめていた価値観」を強く揺り動かされて、一時的に「目眩」を起こしています。
その衝撃ゆえに、「感動」した人は気安く「感動しました」とさえ言えません。
「感心」した人は気軽に「いやー、凄いよね!」と言葉にしますが、本当に深く「感動」すると、人はかえって「無言」になるものです。
なぜなら、当人は、たとえどんな言葉をもってしても、「自分が感じたこと」を適切に表現できないように感じてしまうからです。
こういった形で、「頭による感心」と「胸=心による感動」を対比させて解説しています。
それによって、おそらく読者は「自分は『感心』しているだけなのか、それとも『感動』しているのか」を自分で点検できるようになるはずです。
そして、そういった自己点検を積み重ねていくことで、その人は徐々に「これが『心』で感じている状態」「これはただ『頭』の中で夢想しているだけの状態」と、自分で区別できるようになっていくでしょう。
ちなみに、以上の内容を整理した図も本には挿入しました。
こんなのです。

他にも、中国の気功や日本の武道の「丹田」という身体概念を補助線に使って、「頭」と「胸=心」を対比させる試みもしています。
こちらは図だけ共有しておきますので、興味がある方は書籍化された後で実際に本書を読んでみてください。

そして、「頭」の「目標志向」と、「胸=心」の「非目標志向」の対比もおこなっています。
実際、「頭」というのは、絶えず「目標」を設定してこれをクリアすることで「達成感」を得ることに執着します。
そのため、「達成感」に依存する人は、どこまでも終わりなく「より大きな数字」を「目標」として設定し続け、休むこともなく走り続けることになってしまいます。
それに対して、「胸=心」は「目標」によって束縛されることを嫌い、むしろ「手ぶらな状態」の中に「幸福感」を見出します。
これらの対比は以下のように図にできます。

世の中のほとんど全ての人は「達成感」のことを「幸福感」と誤認していますが、両者は全く別のものです。
そもそも「達成感」は、「目標」をクリアした直後に一瞬だけしか感じられず、すぐに消えてしまいます。
だからこそ、「達成感」しか知らない人は、「幸福になるために、どこまでも『目標』を達成し続けなければ」と考えることになっていきます。
逆に、「幸福感」というのは、むしろ「何もしないこと」や「目標の無い遊びに夢中になること」の中にあります。
いかなる「ゴール」も持たずにただ遊び、遊び疲れたら寝転んで何もせず、くつろぐ。
そういったことの中にこそ「幸福感」というものはあるのです。
言ってみれば、「達成感」は常に「すること」と結びついており、「幸福感」は「在ること」の中に留まる時に感じられるものであるということです。
あなたが今読んでいる、このブログのタイトルに入っている「存在する喜び」という言葉の意味も、そこにあります。
私たちは別に「幸福」を得るために「何か特別なこと」をする必要はないのです。
本当は、「存在すること」そのものの中に「幸福」はあります。
ただ、私たちがあまりにも「頭中心」になり、「胸=心」を感じる仕方を忘れてしまっているために、それを感じられないだけなのです。
そういう意味では、今回の本は一種の「幸福論」になるかもしれません。
心に従って生きること。
それは時として困難なことでもありますが、そこにしか、本当の意味での「幸福」はないと、私自身は思っています。
ということで、今回は執筆の進捗報告でした。
また先まで書き進んだら内容を共有しようと思います。
それでは!

コメント