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「道場」あるいは「魂の休息所」としてのブログ|そして、書き手としての「独り立ち」について

さっき、休憩がてら、またアクセス解析をのぞいていたのですが、新しく二つのことに気づきました。

まず、毎度のことですが、ユーザーの滞在時間の長さについて。

アクセス解析では、個々のユーザーがサイトに滞在した時間が見られるのですが、これは平均エンゲージメント時間として表示されます。

平均エンゲージメント時間というのは、個々のユーザーの滞在時間の平均値です。

たとえば、十人の人たちが合計で二十分サイトに滞在した場合、そのサイトの平均エンゲージメント時間は二分ということになります。

ちなみに、このエンゲージメント時間は、サイトを画面の最前面に表示した状態で、定期的に操作していないとカウントがストップする仕組みになっています。

つまり、バックグラウンドで表示していたり、途中で席を立って表示したままにしていた場合、それらの表示はカウントされないということです。

言い換えれば、この平均エンゲージメント時間は、「サイトの内容に生身の人間がアクティブにかかわっていた時間」を如実に示すものでもあるわけです。

で、一般的なブログの平均エンゲージメント時間の目安がどれくらいなのかちょっと調べてみたのですが、どうも1~2分くらいのようです。

一人のユーザーが平均で1~2分留まれば「良いほう」らしく、ブログが軌道に乗るまでの間は、1分にも届かないことさえけっこうあるみたいです。

それに対して、うちのブログの平均エンゲージメント時間は48分26秒です。

ちなみにこれは、なるべく生身の人間だけを抽出したもので、人間でないボットの巡回も入れると39分47秒まで落ちますが、それでも凄い数値です。

私はさっき、ブロガーたちがお互いにアドバイスをしあっている掲示板をのぞいてきたのですが、そこでは「1~2分の平均エンゲージメント時間を確保するためにどうしたらいいか」ということが、かなり真面目に議論されていました。

不思議なものです。

私は平均エンゲージメント時間を意識して文章を書いたことはなく、「読む人は読むし読まない人は読まないものだ」と思って書いていました。

でも、結果的に、私のブログはかなりコアな読者が入り浸る「異常地帯」になっています。

これはたぶん、一般的なブロガーと私の価値観が全く違うためでしょう。

一般的なブロガーは、おそらく「言葉を届けるため」ではなく「マネタイズするため」に記事を書いているのではないかと思います。

「マネタイズ」のためには、なるべく多くの人にアクセスしてもらって、広告を見てもらう必要があります。

そして、あわよくば自社商品を買ってもらえれば「最高」なわけです。

だからこそ、読者は「質」より「量」が重要になります。

その結果、とにかく検索でヒットしやすいように記事で使う単語にも気を使うことになり、多くの人の具体的な悩みを解決できるような「お役立ち記事」を量産していく戦略が取られるわけです。

ですが、私はそもそも「マネタイズするため」に書いているのではなく、「言葉を届けたいから」書いています。

広告も、見た目がわずらわしくなるのが嫌なので一切つけていません。

なぜなら、広告が目に入って「読者の体験の質」が下がるほうが、私にとっては「損失」だからです。

その上で、私は「表面的なお役立ち記事」ではなく、「根源的な問い」を投げかけるような記事ばかり書いています。

そのため、「答え」を知りたくて読む人はかえって混乱するでしょう。

なぜなら、私は「答え」よりむしろ「問い」を提起するからです。

ですが、それによって結果的に読者の内省が促され、読者は「自分自身の答え」を内側に見つけることができているはずです。

つまり、私が「答え」を与えているわけではなくて、読者が自分で「答え」を見つけているのです。

そして、こういった「知的な能動性」を読者に強いるからこそ、うちのブログは、「読む人はとことん読むけど、読まない人は近寄りもしない」という「極端な場」になっているのではないかと思います。

また、私は自分の文章の著作権も完全に放棄しています。

これは、そもそも私が書いている文章が、「自分で書いたもの」だと思えないからです。

私はいつも、「何か大きなもの」によって衝き動かされるように文章を書いています。

その「大きな何か」は、私の胸にある「ハート」を門(ゲート)として使い、この世に「力」を流し込んできます。

私はあくまでも、その「大きな何か」に一時的に身体を貸しているだけであって、「自分で書いている」という実感はまるでないのです。

もちろん、その結果、私の書いた文章が原因で何らかの損害が発生した場合、その法的な責任は湯浅和海個人が負うことになります。

それについては、私は異論ありません。

でも、「文章の所有権」については、私はこれを「自分に帰属するもの」と思うことができません。

つまり、「責任は負うけど権利は放棄する」というのが、私のスタンスなわけです。

そもそも、「法的な責任を負う」のは、あくまで「この世のルール」に過ぎません。

そこには、「向こう側の責任」はないのです。

でも、「向こう側からやってきたもの」は「こちら側」に帰属するものではないので、私はそれについて「所有権」を主張する気になれません。

だからこそ、「『この世の責任』は負うけれど、『あちら側のものについての所有権』は主張できない」ということになるわけです。

詳しくは過去に一つ記事を書いているので、興味のある人はこちらをお読みください。

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【アナウンス】全ての著作権を完全に放棄しましたので、文章はご自由にお使いください

おそらく、このことを理解できるブロガーは、世の中にほとんどいないと思いますが、以上が私の基本的な考え方です。

ですので、著作権を主張することで、言葉が自由に羽ばたけなくなるくらいなら、むしろ権利は放棄してしまって、他人が自由に言葉を渡せるようにしたほうが、「みんなの利益」になると私は判断しました。

実際、そうすることで、きっと「届くべき人」のところに言葉が届く確率はいくらか上がるでしょう。

このように、私は徹頭徹尾「言葉を届けること」を優先しており、「マネタイズすること」はいつも後回しになっています。

「世渡りが下手」と言われればそうかもしれませんけれど、私にはこうとしか在れないのですから仕方ありません。

ですが、それが結果的には「平均エンゲージメント時間48分以上」という「化け物みたいな数字」を生んでいます。

確かに、私のブログは、訪れるユーザー数こそ少ないですが(実際、同じ業界の下位25%にさえ届いていません)、「訪れている人の体験の質」はかなり高いのではないかと自負しています。

ともあれ、このような「一般的なブログとの乖離」が一つ目の気づきです。

もう一つの気づきは、そういった外側との比較の話ではなく、内側に起こっている変化についてのものです。

詳しく調べてみたら、アクセス時間上位の人の中に、この二十日間くらいで訪れるようになったばかりの人が、チラホラ混じっていました。

まだアクセスするようになってから三週間くらいなのに、既にエンゲージメント時間が十時間近くに達している人もいます。

また、それと並行して、最近は徐々に検索で訪れる人が増えてきています。

具体的に言うと、この一週間で、検索からアクセスしている人の数が、その前の一週間の倍くらいまで伸びています。

要するに、検索から来ている人がこの一週間で倍増しているわけです。

そもそも、私のブログは「同じ人が日常的に何度も訪れる場所」として機能しているので、ブックマークなどから直接来る人が8割以上だったのです。

しかし、最近は徐々に検索からの新規流入が増えてきているようです。

ひょっとしたら、前述のような「異常」なエンゲージメント時間を叩き出し続けていることで、グーグルが私のブログを検索上位に表示するようになり始めているのかもしれません。

まぁ、想像ですけどね。

ただ、検索からの流入が増えてきているのは確かであり、まだ初訪問から一ヶ月経っていない人の中に既に十時間近く読み込んでいる「猛者」がいることも合わせて考えると、このブログは新しい層の読者を獲得しつつある可能性が考えられます。

以前は、私の探求の師である山家さんのブログから流入してくる人が大部分だったのですが、ひょっとすると、徐々に全く外部からの新規ユーザーも入ってきているのかもしれません。

そうであれば、私もようやく師から離れて「独り立ち」ができるようになってきた、ということでしょう。

そんなわけで、このブログは、一般的な「お役立ち情報を消費する場所」ではなく、一種の「道場」とか「魂の休息所」みたいなものとして機能し始めています。

もしもこのブログの文章に触れることで、人々が「自分の心」を取り戻して、より活き活きと生きられるようになっているなら、これほど嬉しいことはありません。

ただ、決して私の言葉に寄りかかり過ぎないようにだけ注意してください。

もしも私の言葉に寄りかかり始めるならば、あなたは私の言葉によって一時的に守られるかもしれませんが、それによって同時に束縛されてもいきます。

そうなると、時には私の言葉が気にかかって、あなたは自分の感じたままに振る舞えなくなるかもしれませんし、また、私に寄りかかることで、「自分の足で立つ力」をあなたが失ってしまう可能性もあります。

そうなってしまっては元も子もないので、最終的には、私の言葉は全部忘れてください。

私の言葉を一時的に通り抜けることには意味がありますが、それらをいつまでも覚えている必要はありません。

私の書く言葉に触れることで「自由の味」がわかったら、後はあなた自身の人生を通して、それを深め、同時にそれを「あなただけの仕方」でもって、表現していってほしいと思います。

ということで、アクセス解析を見ていて改めて思ったことでした。

今日も、お互い伸び伸び「自由」に生きていきましょー。

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