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悟り

ブログ記事

「あなたの光明」を表現してほしい|「真理」という概念を追わず、「自由」という感覚を問う

◎「サット・チット・アーナンダ」は探求を助ける「概念」に過ぎない最近、認識にかなり大きな変化がありました。読者の方と質疑応答をする中で、「悟りとは何なのだろう?」と改めて問い直したことが、きっかけとして大きかった気がします。詳しくは、こちら...
ブログ記事

「自由」を生きるということ|誰もが「自身の光明」を表現している

最近、ぽつぽつと質問のメールが届くようになりました、そのうち、現時点で3つのQ&A記事がブログ上で公開されています。【Q&A】忙しい生活の中で、どうやって瞑想的に暮らしたらいいのか?【Q&A】実践中に恐怖を感じた場合、どうしたらよいのか?【...
ブログ記事

「猫」とは「自由な心」のメタファーである|沢庵禅師が語る「内なる猫」との付き合い方

X(旧Twitter)と、このブログにおける私のプロフィールアイコンは「猫」の画像にしているのですが、今回は「なんで猫にしているのか?」という理由を書いてみたいと思います。まあ、半分くらいは「昔から猫が好きだから」なのですが、もう半分の理由...
Q&A

【Q&A】「PNSE(継続的非記号体験)」についての個人的な見解

先日、読者の方から質問のメールをいただきました。質問者に確認したところ、「質疑応答を公開してもOK」という許可をいただけましたので、ブログ上で公開し、読者の皆さんと共有したいと思います。なお、今回の質問者のお名前は、ここでは「Aさん」とさせ...
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「我」が強いと探求はできないのか?探求を始めることができるのは「強固な自我」の持ち主だけ

私はいつも、「『自我』の言うことを信用してはいけない」とか、「探求の過程で『自我』は希薄化していく」とかいったことを書いています。こういった話を聞くと、人によっては「『自我』が強い人は探求に向いていないのかな?」と思うかもしれません。「自分...
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「戒律」を守らないと悟れないのか?「自律」は、「観察」と「理解」に根差している

仏教には「戒律」というものがあります。「戒律」というのは「修行者が守るべき掟」のようなもので、専門的には「戒」が「修行者自身が個人的に守るべきこと」で、「律」が「集団生活のためのルール」なのだそうです。ちなみに、最も基本的な「戒律」は「五戒...
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「瞑想」と「瞑想法」の違いについて|「瞑想法のアスリートたち」が直面するデッドエンド

あなたは何らかの瞑想法を実践していますか?呼吸や眉間に集中する瞑想をしている人もいれば、ヴィパッサナー瞑想やマントラ瞑想をしている人もいるかもしれません。こういった瞑想の技法やメソッドを実践すると、当人は思考や感情が静かになったり、心身が安...
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「至福」と「エクスタシー」の違いは何か?「エクスタシー」という名の「悟りの一瞥」について

世の中では、「薬物を使用することによって、『悟り』と同じ精神状態を作り出すことができる」と言われることがあります。私自身はドラッグなどを使った経験はありませんが、「強烈な歓喜」のような激しい感情を味わうことで、一時的に解放感を感じることがで...
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いつになったら「悟った」と判断していいのか?探求の過程で陥りがちなピット・フォール五選

前回の記事で、「覚者というのは独善的なのか?」ということについて論じました。覚者は「独善的な人間」なのか?「歪められた自己認知」と「徹底した自己観察」を対比する論考覚者は誰か他人から「悟り」を承認してもらうわけではなく、自分自身で「悟った」...
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覚者は「独善的な人間」なのか?「歪められた自己認知」と「徹底した自己観察」を対比する論考

前回と前々回で、「覚者とはいったいどんな人間なのか?」ということを書いてきました。「覚者」を見分ける二つの基準|「雄弁な無知者」と「口ごもる知者」のパラドクス悟ることができるのは「傑出した人物」だけなのか?探求とは「究極の平凡さ」へ向かう旅...