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師弟論

「教えること」や「学ぶこと」について書かれた記事をまとめています。

エッセイ

「自立すること」によって、私たちは「自分より大きなもの」の偉大さを証明することができる

この二、三日で、認識に大きな変化があったので、過去に書いた記事に追記をおこないました。この記事です。どうして人を殺してはいけないのか?|息一つ乱さず人を殺す「鬼」の存在の意味についてこの記事を書いた時点では、私は「人間というのは『天』という...
エッセイ

知者には「無知」を突きつけて、無知者には「智慧」を思い出させる

私の文章を読むことで、かえって精神的に不安定になる人も、結構いるのではないかと思います。理由はたぶん二つあります。一つは、私が「人々の知りたがっていない真実」をあえて書いているから。もう一つは、私が「人々が無意識に寄りかかっているもの」を積...
エッセイ

「覚醒」から逃げ出す人々|「覚醒」とは「責任の自覚」の別名である

「現成公案」の解説本、第二章が書き終わりました。この章は、「現成公案」の中の有名なフレーズである「仏道をならふといふは、自己をならふ也」を解説する章です。道元は「仏道」と言っていますが、これは彼が仏教徒だからであって、現代風に解釈するなら、...
ブログ記事

【新作進捗報告】「教師(ティーチャー)」と「師(マスター)」の違いについて

自伝の出版もできたので、次作の「道元解説本」を書いています。とりあえず、今朝の執筆で「まえがき」と「第一章」が書き終わりました。今のところ、文字数は一万文字ちょっと。予想では、五万文字くらいでフィニッシュするのではないかと思いますが、これば...
エッセイ

「大事なもの」は目に見えない|「目に見える数字」を追わないことの意味について

「数字にならないもの」というのは、ほとんどの人には理解できないのではないかと思うことがあります。たとえば、私は昔、まだ十代の若者だった頃にダンスを稽古していたのですが、当時の私は「数字にできること」しか理解できませんでした。その頃の私はブレ...
エッセイ

「自由な生」とは義務ではなく、その人自身の命が導く必然である

私はブログや書籍の中でよく「身体の声を聴きましょう」ということを言います。たとえば、「今、何を食べるべきなのか」は身体が知っているので、頭で栄養素を考えたりせず、身体が欲しているものをこそ食べたら健やかになれると、私としては思うのです。でも...
ブログ記事

「自由に踊る」ってなんだ?「しなやかでたくましい無垢」へと至るための探求

◎「やべー人」との出会いこのところ、「自由」をテーマにして記事を書くことが多いのですが、考えてみれば、私はずっと「自由」を求めて生きてきたような気がしないでもないです。私が初めて「自由」というのを意識したのは、19歳の時でした。その時、私は...
ブログ記事

「覚者」を見分ける二つの基準|「雄弁な無知者」と「口ごもる知者」のパラドクス

「真理」を悟るということを、「賢くなること」だと思っている人はいませんか?つまり、「『真理』を悟ると、常人には計り知れない叡智をその身に宿すようになるに違いない」とイメージするわけです。でも、本当のところはどうなんでしょうか?実のところ、「...
ブログ記事

『老子』の「太上」に学ぶ教育論|「親しまれ称賛される教師」が陥るピット・フォール

◎『老子』淳風第十七において語られている「君主像」について私は昔、自分で教室を開いて、武道や瞑想について教えていたことがありました。とはいえ、その頃はまだ真理の探求をしていなかったので、「自我」と完全に自己同一化していて、「エゴ」丸出しの教...