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執着

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「自分の恐れ」を恐れない|「確認できること」と「確認できないこと」を区別する瞑想的観察法

今回は、瞑想について、どちらかというと「テクニカルな事柄」を書いていきたいと思っています。つまり、瞑想の実践をする上で、知っていると役に立つ「テクニック」をご紹介するつもりです。といっても、それは「どうやって瞑想の対象に集中するか」といった...
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「瞑想」と「瞑想法」の違いについて|「瞑想法のアスリートたち」が直面するデッドエンド

あなたは何らかの瞑想法を実践していますか?呼吸や眉間に集中する瞑想をしている人もいれば、ヴィパッサナー瞑想やマントラ瞑想をしている人もいるかもしれません。こういった瞑想の技法やメソッドを実践すると、当人は思考や感情が静かになったり、心身が安...
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いつになったら「悟った」と判断していいのか?探求の過程で陥りがちなピット・フォール五選

前回の記事で、「覚者というのは独善的なのか?」ということについて論じました。覚者は「独善的な人間」なのか?「歪められた自己認知」と「徹底した自己観察」を対比する論考覚者は誰か他人から「悟り」を承認してもらうわけではなく、自分自身で「悟った」...
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悟ることができるのは「傑出した人物」だけなのか?探求とは「究極の平凡さ」へ向かう旅である

前回の記事で私は、「全ての覚者が常に『知的』であるとは限らない」と書きました。「覚者」を見分ける二つの基準|「雄弁な無知者」と「口ごもる知者」のパラドクス「覚者というのは深い叡智を宿した人であり、必ずや知的で学識のある人のはずだ」と思ってい...
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【再考】「存在する喜び」について|「相対的な幸福論」と「絶対的な幸福論」に関する論考

今回は、「幸福とは何だろう?」ということを考えてみたいと思います。いわゆる「幸福論」というものですね。「人はどうすれば幸福になれるのか?」「真の幸福とは何なのか?」そういったことを考えるのが、「幸福論」なのではないかと思います。これまで、古...
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武道における「不動心」とは何か?瞑想の実践が深まることで、「戦う理由」は消滅する

私は過去に武道の道場で7~8年くらい稽古をしていたことがあります。その時の「失敗談」について、前に一つ記事を書きました。【筆者の失敗談】探求で出会う「よくある罠」|「霊的な覚醒」は悟りに必要なのか?その道場では、瞑想法や呼吸法が指導されてい...
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金銭や名声の追求は「悪」なのか?真の「無執着」は、逃避ではなく理解によってのみ起こる

あなたは、「金銭や名声を求めること」を「悪いこと」だと思ってはいませんか?熱心に真理を探求している人の中には、「金銭や名声をいくら求めても、真理を悟ることはできない」と考えている人もいるのではないかと思います。確かに、金銭や名声を追い求め続...
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「善」と「悪」の鎖を断ち切る方法|「無分別」に至るために「事実」に留まることの意味

◎「わかった気」になりたがる私たち今回の記事では「分別(ふんべつ)」という言葉について考えてみたいと思います。「分別」というのは、もともとは仏教の言葉で、物事を二元的に分割して考えることを意味します。たとえば、「善」と「悪」、「自分」と「他...
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【筆者の失敗談】探求で出会う「よくある罠」|「霊的な覚醒」は悟りに必要なのか?

あなたは「霊的な力」の向上に興味がありますか?たとえば、予知やテレパシー、波動や氣を操ったりするような能力です。真理を探求をしている人の中には、ひょっとすると「霊的な能力をひたすら高めていけば、その先に悟りがあるのではないか?」と思っている...
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「無執着」は実践できない|「カルマ」が浄化される時と、「カルマ」が積み増しされる時

◎「無執着」は「至福へ至るための手段」ではなく、「至福の定義」そのものである「真理の探求」についての連載が終わって一発目の記事ということで、今回は「執着」について掘り下げていこうと思います。「執着」については、連載の中でも何度か言及したこと...