人々の苦しみの源である「執着」について書かれた記事をまとめています。
エッセイ 「来る者」を拒まず、「去る者」は追わず|「自分の心」を偽らない美学について
最近は認識が大幅に書き換わったので、いろいろと新しい視点が浮んできて新鮮です。しかし、こうもコロコロとスタイルや主張が変わると、読者はついて行くのが大変だと思います。実際、読むのをやめて去っていく人も、けっこういると思っています。たとえば、...
エッセイ 「自分にはわかった」と思った瞬間から、その人の「堕落」は始まっていく
先月末から書き始めた、道元の現成公案げんじょうこうあんについての解説本ですが、一昨日くらいに最後まで書き終わっていました。ただ、ここ数日で、認識が大きく書き換わったので、それに合わせて頭からリライト作業をおこないました。前は「悟り」という「...
エッセイ 呪わないこと
私はこのブログで文章を書き始めてまだ二か月ほどなのですが、それより前にも、いろいろなプラットフォームで文章を書いていた経験があります。最初に書いていたのはアメーバブログで、その頃の私はまだ二十五歳でした。その後も、noteで書いていた時期が...
エッセイ 「答えの無さ」の中に留まること
少し思い出したことがあるので、文章を書きます。私は数年前、ひどい抑うつ状態に陥っていました。当時は、毎日「死ぬこと」ばかりを考えていて、人生は完全に「真っ暗闇」でした。そして、頭の中ではずっと「早く死んでしまえ!」とか、「お前が生きているせ...
エッセイ 「苦しみ」に思い出させてもらったこと
ついさっきまで、一人で「苦しみ」の中に佇たたずんでいました。時間にして、30分くらいでしょうか?こんなに長く苦しんだのは、ずいぶん久しぶりのことです。なんだか、寝ても覚めても苦しんでいた昔のことが思い出されて、懐かしい気分になりました。「そ...
エッセイ あえて「天」に逆らう|無意識に「罪人」を作り上げる「心の隙」と私自身の「弱さ」について
私は最近、「天」という言葉を多用しており、どこか発言内容が「宗教」っぽくなってきていました。別に「宗教」そのものは悪くないのですが、そうしてどこか私の言葉は浮世離れし始めていたようにも思います。このところ何度か言っていることですが、「深い呼...
エッセイ 人は「自由」であるがゆえに、いかなる「選択権」も持っていない
現在執筆中の「現成公案げんじょうこうあん・解説本」が第五章まで書き終わりました。今の時点で六万文字弱なので、当初予定していた新書サイズでの出版は無理そうです。これはまた四六判かな。紙で読む人は、ちょっと「持った時の感覚」がずっしりしてくるか...
エッセイ 丸二か月で百万文字のアウトプット達成|真の創造性は「遊び」の中で開花する
今日で、私がこうしてブログで情報発信をするようになってから、丸二か月が経ちました。最初は、noteで本名を隠してこそこそと書いていたのですが、途中から「もっとバンバン情報発信したいぜー!」と思うようになり、本名を公開して独自ドメインも取得し...
エッセイ 知者には「無知」を突きつけて、無知者には「智慧」を思い出させる
私の文章を読むことで、かえって精神的に不安定になる人も、結構いるのではないかと思います。理由はたぶん二つあります。一つは、私が「人々の知りたがっていない真実」をあえて書いているから。もう一つは、私が「人々が無意識に寄りかかっているもの」を積...
エッセイ 「覚醒」から逃げ出す人々|「覚醒」とは「責任の自覚」の別名である
「現成公案」の解説本、第二章が書き終わりました。この章は、「現成公案」の中の有名なフレーズである「仏道をならふといふは、自己をならふ也」を解説する章です。道元は「仏道」と言っていますが、これは彼が仏教徒だからであって、現代風に解釈するなら、...
