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「自分の心」と踊るということ|感受性を殺さず生きるために

先月、初めての本をAmazonで出版してから、約半月が経ちました。

この半月の間に、計6冊(それぞれkindle版とペーパーバック版の合計12バージョン)を発刊し、今までにそれらが、全部で30冊売れています。

また、kindle unlimitedの読み放題でも、これまでに新規読者が4000ページも読んでくれているようです。

全く無名の個人が書いたにしては、けっこう売れたのではないかと思います。

ただ、読んだ人たちがいったいどんな風に言葉を受け止めたのかは、私の目からは見えていません。

というのも、意見や感想などを全く目にしていないからです。

今のところ、Amazonのレビューもありませんし、ブログのコメントや問い合わせなどで本の感想を受け取ったこともありません。

なので、「いったい読んだ人はどんな風に感じただろうな?」と思うことも時々あります。

もちろん、どう感じても読む人の自由なのですけれど、「どんな感じ方をする人がいるのか」については、純粋に興味がありますね。

私のような「変な人間」が書いているブログや本を好き好んで読んでいる人たちって、いったいどんなことを普段考えているのか、ちょっと聞いてみたい気持ちがあるのです。

とはいえ、本の意見や感想がないのは、ある意味で「成功」なのかもしれません。

なぜなら、私はどの本を書いた時も、最後は必ず読者に向かって、「決して後ろを振り返らず、目の前の自分の人生を生きてください」といった趣旨のことを記しているからです。

それゆえ、もしも最後まで読んだ人は、毎回毎回「こっちを振り返らないでいいから、前だけ向いて歩いていけ」という私からのメッセージを受け取ることになっているはずです。

結果的に、真剣に私の本を読んでいればいるほど、その人は「後ろを振り返って著者に意見や感想を言うことがしにくい気持ち」になるんじゃないかと思います。

そして、結局のところ、それが私自身の望みでもあるのです。

もちろん、私としても「読者とのキャッチボール」は楽しいですけれど、いつまでも私の言葉に寄りかかって欲しいとは思いません。

読んだ後は、本の内容は忘れてしまっていいので、ただ読書の過程で感じたであろう「心の震え」を、その人なりの仕方で表現してほしいと思っています。

私としては、その人の心が望む仕方で、何かを表現してほしいわけです。

もちろん、それが「著者である私に感想を言う」ということであっても、特に問題は無いわけですが、別に私のほうを振り返らなくてもいいのです。

日々の暮らしの中にある「何気ない一コマ」に、その人自身の心が震えるようになったなら、それで私の本は「役目」を終えたと言えるでしょう。

実際、「感じること」って、本当に難しいと思うのです。

私たちはついつい「感じること」に蓋をして、機械的に日常を繰り返し、無感覚なまま周囲の人々に流されて行ってしまいます。

私はただ、そういう「世間の流れ」に逆らいたいだけなんです。

この「生」の一瞬一瞬が持っている輝きと、そこにある深い味わいを、忘れないでいてほしいのです。

もしもあなたが、私の本やこのブログの文章を読んだことによって、「生の輝き」に触れられたなら、私はとても嬉しいです。

もちろん、「感じること」は時に辛いことでもあります。

自分の心を直視するなら、そこには「悲しみ」があるかもしれませんし、「怒り」が湧いてくることもあるかもしれません。

でも、もしも心が「泣きたい」と言うのなら、それはあなたが「大切な何か」を失ってしまった証です。

それを見て見ぬふりをしてしまったら、あなたは「自分の喪失」を乗り越えることができなくなります。

そして、もしも「怒り」があるのなら、きっとあなたは何かを奪われたのです。

本当なら手にすることできるはずだったものを、「愛」を、「自由」を、あなたはどこかで奪われたのです。

だからこそ、あなたの心は叫ぶのです。

自分は「それ」が欲しかったのだ、と。

心を封じ込めないで生きていくこと。

それは時に難しいものです。

でも、心にはうるおいがあふれています。

それは、いつまでも「無垢」で瑞々みずみずしいままです。

逆に、もしも心を封じ込めるなら、私たちの人生はカサカサに乾いてしまうでしょう。

そうして私たちの心は渇き切って、「空虚さ」と共に生きていくことになってしまうのです。

ただ、もしもあなたが心を取り戻すなら、あなたは「困難」と直面します。

でも、それは「直面するだけの価値がある困難」です。

あなたは「生」の扉を開き、その向こうにあふれる光の中で、自分の心とたわむれるでしょう。

そこには「悲しみ」と「怒り」がいて、「喜び」と「楽しさ」も一緒にいます。

あなたは一つの「全体」になり、「自分の踊り」を踊るはずです。

それは「何気ない日常」かもしれません。

「歴史に名を残すような偉業」なんて、何も見当たらないかもしれません。

でも、きっとあなたはもう、それを気することがないでしょう。

心が躍るということ。

今日をワクワクして生きるということ。

そのことこそが、「最高の報酬」です。

その時、もし誰もあなたのことを憶えていなかったとしても、あなたの心は覚えています。

あなたが一緒に踊ってくれたことを、あなたの心は忘れないでしょう。

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