連載目次

「苦しみの受容」と「瞑想の実践」によって、ただ存在するだけで感じられる「純粋な喜び」へと至る方法について連載しています。

全体の構成

  • 第一部 導入
    「本当の自分」とは何か?
  • 第二部 苦しみの受容
    「純粋な喜び」について理解する
  • 第三部 瞑想の実践
    「意識」について理解する
  • 第四部 沈黙に留まる
    「存在」について理解する

第一部目次

【第1回】満たすべき「自分」はどこにいるのか?

【第2回】「自分」というものの本質は何か?

第二部目次

【第3回】感情が持つ二つの性質と、「純粋な喜び」について

【第4回】「純粋な喜び」に至るためには何をしたらいいのか?

【第5回】「苦しみ」を味わうための具体的な方法について

【第6回】「純粋な喜び」に留まる際のジレンマ|「執着」と「自由」の選択について

【第6.5回】「純粋な喜び」に執着する必要はないことについての解説

第三部目次

【第7回】世界はなぜ「この自分」からしか見えないのか?「意識」の謎について

【第8回】「瞑想」の実践の全体像|四つの段階のロードマップ

【第9回】「瞑想」の第一段階《理論編》|なぜいったん「自我」を強化するのか?

【第9.5回】「瞑想」の第一段階《実践編》|「無思考の味わい」を知るための呼吸瞑想

【注意喚起】技法の実践において、「情報の詰め込み」が問題となる理由

【第10回】「瞑想」の第二段階《理論編》|二種類の「サマーディ」を知ることの意味について

【第10.5回】「瞑想」の第二段階《実践編》|「無意識の力」を伸ばす「集中しない瞑想」

【特別記事】「退屈」とは何か?|「何もしないこと」の中に留まったほうがいい理由

【第11回】「瞑想」の第三段階《理論と実践》|「自分は観察者だ」という錯覚に気づく方法

【第12回】「瞑想」の第四段階《理論と実践》|「自我」は「虚構」に過ぎないと理解する

第四部目次

【第13回】どちらか一つの理解では足りない|「意識」と「純粋な喜び」の関連性について

【最終回】「世界の実在性」が崩壊する時|「世界」という最後の束縛からの自由について

【あとがき】「わかる」は楽しいが、「わかったつもり」では人はなかなか変われない

(以上、連載完結)